Wrong Dance,Right Steps"@Vacant,5/3(sun)

前後するが3日のVacantのイベントについて。
手弁当のイベントゆえ当日パンフをつくらなかったが、当日のプログラムは以下。

捩子ぴじん×神村恵+福留麻里 『sygyzy』
 振付:捩子ぴじん
 出演:神村恵、福留麻里
快快『快快マーチ』
泉太郎『河童の子は河童』
 作:泉太郎
 出演:浅野晋康
快快『ドンカン/ビンカン/ブンベッツ』
 出演:野上絹代、中林舞
Kentaro!! 『Miles Runs The Voodoo Down』
Line京急(山縣太一+大谷能生)『ベルベラ・リーン』

このうち、捩子ぴじん作品と泉太郎作品には本人は出演していない。『sygyzy』は4月にアサヒアートスクエアの『Grow up!! Dance』で初演されたものを、このスペース用にアレンジしたもの。かなりの広い空間と滑らかな木の床を前提に作られたものなので、ダンサーはVacantの狭さと床のデコボコに難儀しつつも、作品のクリティをキープしてくれたと思う。最前列のお客さんとかなりの至近距離ということもあり、ある意味では、この場所の条件がかえって利点となり初演より暴力性、緊張感が増した上演になったかもしれない。
泉作品は、舞台上に置かれたおなじみの箱形テレビからの映像(泉くんが持った幼女の人形がアップで映っている)と音声(泉くんの声)の要求(抱っこして、あやして、なでて、あと逆立ちして、等々あれこれの)に従って、泉くんらしい顔がマジックで描かれた覆面を付けたパフォーマーが行為を遂行する、というもので、遠隔操作というかいわゆる「インストラクション・アート」と言えるだろう。さて、このテレビの指示にしたがう男のパフォーマンスを誰が、どんな風に上演するべきか?これは、難しい。俳優やダンサーなどが「演技」的にパフォームするのは違う、というのが作家と僕の共有する考えだった。となると、素人というか「普通の人」ということになるわけだが、「普通の人」と言っても、いろいろだ。また、「普通の人」だけに、舞台に立った時どんな状態になるか(挙動りの度合い、即座の判断の傾向、身体の潜在能力、等々)は、わからない。「だからこそ」というのが、インストラクションアート、ひいては「即興」というコンセプトの大事なところなのではないか、とも思った。それで、最終的には「勘」で、知人の一人にやってもらうことにした。彼の普段の身体の佇まい、仕草の感じが好きだったので。もちろん、彼には指示の具体的な内容は知らせない。ぶっつけ本番である。結果はどうだったであろうか? 僕はかなり満足だった。もちろん、パフォーマンスとして「面白くなかった」という意見もあるだろう。ハズしたのではないか、不発に終わったのではないか、という。しかし仮に僕自身がそう感じる結果になっていたとしても、この作品としてはそれでも全然、OKなのだと思う。ジョン・ケージの作品に「名演」「凡庸」「失敗」はありえない、ということだ。再度繰り返すが、この日の「浅野による泉作品」上演は上演そのもととしても僕自身にはかなり面白かったんだけどね。