「かっこいい身体」とその他の記憶(ノイズ) 「宮沢章夫<身体論>」β版

 どうも。桜井圭介といいます。今日は、「宮沢章夫の身体論」ということでお話したいと思います。で、最初にお断りしておかなきゃいけないのはですね、僕、最近はダンスにかかわる色々をしてるんですが、92年の『ヒネミ』から《遊園地再生事業団》の舞台の音楽をほぼ毎回作ってきました。宮沢さんとご一緒した仕事は、87年《ラジカル・ガジベリビンバ・システム》のアルバム(『大竹まことの「文芸春秋」』)以来、さらに遡って個人的なお付き合いは83年からになります。当時、僕は例の原宿ピテカントロプス・エレクトスの企画室に勤務しておりまして、そこに桑原茂一企画の《ドラマンス》の作家として宮沢さんが登場したわけです。僕は23才でした。そういうわけで、立場的には、まあ、かなり「身内」だということです(あと、これ、宮沢さんの東大の講義録『80年代地下文化論』のパスティーシュだったりもします、関係ないけど)。もちろん、長い間、一緒にものを作ってこれたのは、宮沢章夫というクリエーターの仕事に対してのリスペクトがあってこそ、なわけです。
 さて、宮沢演劇における「身体」、そしてその前提となるであろう「身体観」、「身体」なるものへの「まなざし」、についてです。とはいえ、80年代《ラジカル》と90年代《遊園地》そして2000年代に入ってからのいわば第二期《遊園地》とでは、宮沢さんの「作風」というか「方法論」的に見て、それなりに区別して考えなきゃいけないことは確かですよね。でも、逆に、この間一貫していることもあるような気がする。それは何か。ということで、まず3つのフェーズについて整理して、その後に、さらにそこに通底する何かを考えてみたいと思います。
 まず、90年代の《遊園地》はいわゆるところの「静かな演劇」というくくりで語られることが多いように、何も起こらない劇、劇的な事件と事件の間の日常の劇を志向し、そこに存在する身体は、芝居くさい演技を排して「ただそこに立つ」ということを基本に、「張らない」「叫ばない」「動かない」等の「〜しない」という方向の特徴を持つものであった。といったところが、あらためて僕が指摘するまでもなく、おおかたの理解だと思います。で、それは宮沢さん自身の行ってきた80年代ポストモダン的「戦略的戯れ」に対する、あるいは「バブリーな喧噪」を背景としたある種の演劇表現に対する反省、批判的視点に立った上で出てきたものである、と。
 ここで注意したいのは、「《ラジカル》→《遊園地》」を「80年代演劇→静かな演劇」一般と単純には重ね合わせられない、ということです。宮沢さんの80年代の仕事すなわち《ラジカル》のスタンスの中には、同時代の演劇に対する批判的機能が含まれていて、それは要するに「演劇臭さ」に対する批判ということではないか。何故かというと、《ラジカル》は「演劇」じゃなかったから。いや、これは言い方が難しいな。実態として、当時、その活動は劇界とは無関係の場所(いわゆるところの「業界」?)で行われていたのであり、そして、《ラジカル》の演技を担っていたのは「俳優」というよりいわゆる「芸人」と呼ばれるような人たちであった。今もシティ・ボーイズ+中村有志(+時々いとうせいこう)というまあ、かつての《ラジカル》の面子でもって年に一回の舞台「シティ・ボーイズ・ミックス」というのがありますよね。あれも今「演劇」として扱われているかといえば、例えば朝日新聞に劇評が載ったりする、ということはありませんね。《ラジカル》もそうでした(今シティ・ボーイズ・ミックスに《ラジカル》当時のような実験性や批評性があるかどうかについては意見が分かれるとは思いますが、活動の「立ち位置」としては同じだと言えます)。
 話を戻すと、演劇とは無関係な場所にあった《ラジカル》は、まず第一に80年代演劇一般が先行する演劇との関係で(「演劇内の問題」として)の乗りこえようとしたこと、情念的=観念的であること、もっと端的に「暗い」「重い」ことを、「お笑い」しかも「ナンセンス」であるという性格によって、いとも簡単にクリアしていたということ(これはまあ80年代の表現全体に共通することですね)、さらにもう一点、80年代演劇一般が“演劇として”担わざるを得なかった「演劇臭さ」例えば、おおげさな身振り、言い回し&発声など、彼らが半ば無意識に70年代あるいはそれ以前からの演劇から継承してしまったあれこれ、についても免れていたわけです。なにしろ、「演劇」じゃないんですから。にしても、今挙げたような「演劇臭さ」に対する批判的視点というは、承知の通り、90年代になって初めて問題として浮上してきたのであり、それを具体化したものが「静かな演劇」ということなのであってみれば、宮沢さんの場合、すでに解決済みの問題だったことになる。
 では、あらためて、《ラジカル》から《遊園地》への移行において何が変わったのか?です。いや、もちろんスタイルからして、もっと言えばジャンルからして既に違うことを始めちゃったということはありますよ。「コメディ」から「ドラマ」へ、「お笑い」から「演劇」へ、という。でも、宮沢さんは宮沢さんです。つまり、その時点で宮沢さんの中で何が問われたのか?ということですね。宮沢さんは「いや、単に飽きたから」って言いそうだけど。
 先に80年代の「バブリーな喧噪の反映」と「ポストモダン的な戦略的戯れ」、ということを言いましたが、この2つの差異ということを考えてみたい。このことについては『80年代地下文化論』でもしばしば言及されていますが、80年代の「功と罪」というか「光と影」といいましょうか。今日から見るとたしかに「ポストモダン的な戦略的戯れ」だと言われたことも実は単なる「バブリーな喧噪の反映」に過ぎなかった、という面が多々あり、宮沢さんも80年代自分のやってきたことについてかなり真摯に反省されている。しかし、「バブリーな喧噪の反映」と「ポストモダン的な戦略的戯れ」との関係は、じつは同時的な裏表の関係というより、「ポストモダン的な戦略的戯れ」が時とともに変質してしまい、最終的に単なる「バブリーな喧噪の反映」に帰結した、というべきなんだと思うわけですよ。
 『地下文化論』の最重要キーワードとして「かっこいい」というのがありますね。これについてはまったくその通りなんですが、出てすぐ読んだ時に、僕が一点だけ危惧したことがあります。「かっこいい」という言葉の内実がミスリーディングされる危険がなきにしもあらずだな、と。いや、よく読めばわかるはずなんですが、80年代における「かっこいい」というのは、ある意味「くだらないほどかっこいい」「かっこいい=バカ度高い」ということなんですよね。例えば「ヘタうま」というのがありました。コドモの描いた絵のようにグチャグチャ、ギクシャクした湯村輝彦のイラスト。クールなクラフトワークに対するバカっぽさのディーヴォ。さらにペナペナ&ヘロヘロのプラスチックス。いや、クラフトワークだってバカはバカなんですね。あれは、3コードとか8分音符のベースラインとか、初期ロックンロールの基本のキっていうぐらいの定型パターン、初心者の棒弾きみたいなチープさを「ワザと」やってるわけです。当時の音楽のテクノロジーのレベルは、もっと華麗で微細なオーケストラのシミュレーションが出来ていたし。あと、YMOにしても、サウンドはともかく、イメージ戦略としてはかなりバカを重視してましたね。
 で、そういう意味での「かっこいい」を最も体現していたのが《ラジカル》だったと思うのですが、宮沢さんは自分のことを語る段になるとどうも遠慮がちになっちゃうのか、《ラジカル》に関しての記述が思いのほか少なかった。
 それでですね、「かっこいい」ということに対して反発する、そこから排除されたという意識を抱く者らの敵視する「かっこいい」というのは、僕なりに考えるてみると、それはバブル以降80年代末になってから出てくる(その頃初めて使われ出した言葉ですが)「小じゃれた」という形容で呼ばれたあれこれのことではないかと思うんです。例えば、「アニエスb」とか、いわゆるど真ん中の「渋谷系」ポップスとか。つまり、もうそこにいたると「かっこいい(=クーダラナイ)」というカッコ内がなくなってしまって、ただの「かっこいい」に変質してしまっているんですよ。もともとの80年代的「かっこいい」は「かっこ悪いほうがかっこいい」というか、逆に言えば「かっこいいということはなんてかっこ悪いんだ」という認識が前提で「かっこよさ」を追求していた。いわば「キャンプ」的な態度ですね。まあ、そういう斜にかまえた態度というのはまだるっこしいってことで、支持されなくなった、と。そこに80年代の精神の脆弱さがあったといえるかもしれない。
 自分に近いことで一つ言うと、ピテカン周辺で当時「かっこいい」とされた音楽にマーチン・デニーの「エキゾチック・サウンド」というのがあって、ヤン富田のいた(ピテカンの専属バンドの)「ウォーター・メロン」がそれのカヴァー・バンドだったし、それ以前に細野さん経由でYMOにも入ってるんですが(「ファイヤー・クラッカー」がM・デニーのカヴァーですね)、50年代アメリカの、まあ手っとり早く言えば、相当インチキなオリエンタル風味のラウンジ(基本はジャズ・コンボだけど三味線でマイ・ファニー・バレンタインとか!)で、とにかくそれが「かっこいい」のは超キッチュだから、ということでした。ところが、まあ、これは僕の知人でもあったんですが、いわゆるところの「渋谷系のドン」がセレクトして、80年代末にベスト盤CDを出した。いちおう日本ではじめて発売されたM・デニーのCDです。で、これがですね、エグ味のほとんどない、つまりM・デニーらしくない、ごく普通のラウンジとして通用するような曲ばかり選んでいるのね。そう、まさに「小じゃれた」アルバムだった、ということです。
 えーと、話が先に進まないよ、とお思いでしょうが、あと、もう一点。「かっこいい=ダサい」という80年代的態度は、最初は「おたく」と「新人類」を問わず共有されていたんですね。それが、ある時期に「ダサい」と「かっこいい」になって分岐してしまったということです。まず、近田春夫の歌謡曲へのリファーというのありましたね。80年代には『考えるヒット』のもとになる歌謡曲批評を『ポパイ』で連載してました。それから『よいこの歌謡曲』というサブカル(!)雑誌、『写真時代』という白夜書房のインテリ向け(?)エロ雑誌、ニュー・ウェイヴな自販機エロマガジン『Heaven 』、同じくニュー・ウェイヴ野郎&インテリの間でのエロ漫画ブーム、その流れで出現したロリコン漫画(内山亜紀)、これも最初は「冗談」として理解され「うわっ、ヒド過ぎる(=かっこいい)!」っていう感じで面白がっていました。「今おしゃれなマンガと言えばロリコンだ」的な(笑)。それが、ある時期から「本気」になって「萌え」が出現するわけですね。
 ということで、話を宮沢さんに戻しますと、90年に宮沢さんが《遊園地》を始める時にですね、既に「戦略としてのポストモダン的遊戯」という方法、つまり「かっこいい(=バカ)」という二重性が、一般に理解されなくなってしまい、戦略としてうまく機能しなくなった、という認識がなされたのではないでしょうか。《ラジカル》の最大の武器は「批評としての笑い」でした。しかし、「かっこいい(=バカ)」からカッコの中が消えてしまい「かっこい=かっこいい」としか読まれなくなったの同様に、「お笑い」という方法から、批評性が消えてしまい、いやそうではなく、人々がそこに批評的なものを読み込むことをしなくなった、と。言い換えれば、いかに批評性があろうとも「お笑い」という形式で提示されるやいなや、ひとくくりに単なる「お笑い」として消費されてしまうことになった、ということです。
 『地下文化論』では、80年代(ラジカル)=「機動戦」、90年代(遊園地)=「陣地戦」という言い方もされています。「戦略」として、あちこちにちょっかいを出しに出かけていっては(その場その場で)価値を紊乱したり転倒させることから、陣地を確保して根気強く考える、分析する、敵を負かす方法を研究することへのシフト、宮沢さんはそんなふうに説明されてたと思いますが、では、具体的に《ラジカル》と《遊園地》を比べると、どんなことが言えるか、です。
 まず、さっきも言ったように、《ラジカル》の出演者は「俳優」ではなく「芸人」であった。「芸人」の「演技」とは、俳優の演技とは違います。そもそも何かの役を演じるのではない。芸を見せるためにそこに「存在」する存在。その「芸」とは様々であり、《ラジカル》で言えば、「笑い」です。「笑い」が成立するための仕掛け=構造は宮沢さんのテキストと演出が担うわけですが、それを出現させるのは個々のメンバーのそれぞれ「唯一無二」の「身体ー存在」、強烈な存在感を放つ彼らの身体である。「身体」による「行為」。「演技」ではなく「身体ー行為」。
 いっぽう「《遊園地》」はといえば、「俳優」がある「ドラマ」の中で何かの「役を演じる」という「演劇の構造」を前提としています。何故「俳優」か? という問いをひとまず措くと、とにかく《ラジカル》の芸人の身体と《遊園地》の俳優(に限らず「俳優」なるものの一般)の身体では、その身体が放つ強度が全然違います。例えば、《ラジカル》の舞台を俳優が再現することなど想像できませんし、《ラジカル》の面々(芸人)のあのデタラメさ(!)は模倣=演技によっては獲得できないわけです。
 ところで、《遊園地》の「演技」の基本は、「ただそこに立つ」でした。ここで、ひとつの「仮説」を立ててみたいんです。まあ自分でもかなりな「仮説」だという気がしないでもないんですが、《遊園地》においては、《ラジカル》の芸人の特別な身体が持つ強度をフツーの身体によって提示するための方法として、「ただ立つ」が要請されたのではないか、と。たしかにそこでの俳優は(演技らしい演技をしないという意味で)「何もしない」のですが、何もしていないわりには妙に存在感を持っていたんですね。
 《遊園地》の俳優たちというと、まず初期には温水洋一に代表されるダメ男俳優、滑舌の悪い小浜正寛(ボクデス)、次いでワークショップなどから演劇経験の浅い(ヘタクソな)若者の素の身体を積極的に登用し、さらにはしりあがり寿小玉和文ミュート・ビート)、鈴木慶一ムーンライダース)といった魅力的なキャラクターを持った「素人」が登場したわけです。共通して言えるのは、フツーの俳優(テクニックも身体も立派な)にくらべて彼らのほうが断然いきいきしてるということです。
 まあ、温水くんやしりあがりさんの場合は、配役の妙という言い方も出来ますから、やはりこの問題を考えるにあたって核心となるべきは「演劇経験の浅い若者たち」でしょう。その身体は「何も特長のない」という意味での「フツーの身体」の提示(というふうにしばしば誤解され勝ちですが)とは違うんですね。で、それは身体に対する宮沢さんの「まなざし」ということが前提としてあるはずです。たとえば、ある俳優は「下唇を突き出す」のが癖なんですが、宮沢さんはことあるごとにそれをからかう。もはや「佐伯は下唇」ということです。もちろん本人はヒドく気にしますが、それが魅力なんだから、しょーがない、というかまあむしろいいことじゃないか、と(笑)。あるいは、ある女優については「ちょっと目を離すと必ず内股になってる笠木」だし、またある俳優については「気がつくといつも体が斜めってる渕野」ということになる。実際そうなんですけどね。ちょっとイジワルな、でも愛があるまなざし。やはり人それぞれの魅力はその人の「ヘンな癖」に出る、ってところを見てるんじゃないかなと思うんです、宮沢さんは。とはいえ、宮沢さんのカラダ、っていうのもあるなー、実にいい感じなんですね。(もちろん100%肯定的に言っているわけですが)彼のあのまるっこい体型、そこから突き出した粘土のような腕、そしてこれまたまるっこい手、指。『地下文化論』に、講義中の宮沢さんの写真がたくさん載ってましたが、とりわけあの印象的な「手振り」がよく撮れてました。その宮沢さんは、アカデミー賞受賞スピーチ(「Shame on You, Bush!」)の時の「腕を振り回すマイケル・ムーア」を思い出させる。かっこいいんです。
 とにかく、こんなふうに見ていくと「静かな演劇」(の少なくとも公式的というか世間的な了解)とはいささか違う姿があらわれてくるんですね。「フツーの」と言うとき人はえてして標準的な、あるいはニュートラルな、というふうに受け取りがちですが、《遊園地》の俳優はそういう意味での「フツー」からはズレているとも言えるわけです。ある文章で宮沢さんはこう書いています(これ、《遊園地》のウェブサイトにもアップされてる原稿なんだけど、現行のトップページからはリンク張られてないんですね。隠しドアがどこかのページにあるんで、探してみてください)。
<私は、舞台上に存在する世界に俳優が生きていればいいと考える。「見せる身体」ではなく、「生きる身体」だ。(中略)生きている身体は、どこか歪んでいるに違いなく、個々に差異を抱え、生きる身体がただそこに立っていれば、それだけで、表現が生まれる。「差異」そのものが、「表現」になる。(「ただ立つ」95年シアターアーツ誌所収より)>
これを敷衍して僕なりに言うならば、この世界に存在するフツーの人の魅力は、その「姿勢の悪さ」やその「滑舌の悪さ」や一挙手一投足の「不器用さ」にこそ顕われる、そしてそれが劇に「リアル」をもたらすのだ、と。僕も傍らでずっと彼らの立ち姿を見てたびたび感動してきたんですが、それは「あー、あの台詞を言うときの彼の猫背はきれいだったなー」とかそういうことばっかりです。そうした彼らの「微細」な魅力は、もちろん《ラジカル》の芸人たちの「炸裂」する魅力とは違うのですが、それを拾う宮沢さんの「身体に対するまなざし」、そして舞台のなかに「世界」を成立させるための身体のありようについてはある意味、共通しているんじゃないか、と。
 「(ラジカルの芸人)の特別な身体が持つ強度を、フツーの身体によって提示するための方法」としての「ただ立つ」という推理、じつはですね、これ僕が以前に「ピナ・バウシュのタンツテアターはなぜ発想されたか?」について考えたのと同じ論法なんですよ、ユリイカの「ピナ・バウシュ特集号」(95年)で。かいつまんで言うと、バウシュのタンツテアターは、通常のダンスのようなジャンプとか回転技とかいうものが一切ない、そのかわりに、ごく日常的な仕草、ちょうど人が話してるときの無意味な手振りのような、小さくてちょろちょろっとした動きに満ちあふれている。それらの誰でも出来るような簡単な仕草というのは、じつはへたに中途半端なテクニックで無理して跳んだり回ったりするよりも、はるかに繊細であり、雄弁でなのである。で、それは誰もがフツーの身体で「天才ダンサー」と同じ繊細さや強度を獲得する方法、として考えられたのではないか、と。さっきの宮沢さんの言葉、「見せる身体」ではなく「生きる身体」、「個々に差異を抱え、生きる身体」「差異」そのものが、「表現」になる、等々。これって、まるっきりピナ・バウシュじゃないですか。
 そう言えば、宮沢さんが前にバウシュについてすごくいい評を書いていたんですが、その中で、宮沢さんがとにかく一番驚いたことは、あるシーンでダンサーが椅子に座ったのだけれども、座った瞬間いきなり後ろに椅子ごと倒れたことだ、と。これには笑っちゃったよ、と。そんなことするのはダンスというよりモンティ・パイソンか《ラジカル》じゃないのか、ということですね。あるいは転倒というダンスにあるまじき行為に《遊園地》的な「不自由な身体」を見たのかもしれません。
 ところで、《ラジカル》のメンバーといっても、じつはそう簡単にひとくくりにできないことも事実なんですね。『地下文化論』で宮沢さんは、芸人の資質として「身体性の濃い/薄い」ということを語っていて、それによると、身体性の「濃い」のは由利徹ビートたけし竹中直人。「薄い」ほうは、トニー谷タモリ、そしていとうせいこうです。いとうせいこうの芸人としての新しさについて「身体性の薄い芸人」というふうに定義してるんですね。それ言い方を変えるとインテリな笑いということかなと思うんですが、頭/身体という分け方とは別に、「身体性の薄い笑い」と規定された人(いとうせいこうタモリ)は、従来のコメディアンと比較して、芸達者でない人、身体が鍛えられてない人、固いからだの人、不器用な身体の人ということが出来るのではないでしょうか? まさに、いとう君は「新人類の旗手」だったわけですが、それはフツー(従来)の意味ではまったく芸人の身体ではなかったということでもあるのです。そもそも出版社勤務の雑誌編集者なわけだし。宮沢さんは身体性の濃い芸人(竹中直人シティボーイズ)の圧倒的な強度を持つ身体に魅了されつつ、新しいタイプの身体、言ってしまえば、「弱っちい身体」「ダメ身体」にも引きつけられた。いとう君のほかにも、途中から参加したかとうけんそう加藤賢崇)とか江原由季子(現YOU! )とか。で、《ラジカル》のなかの、この「芸人基準」から言えば「身体性の薄い」身体というのが、案外と《遊園地》の俳優の身体のモデルというかオリジンだったのかも知れませんね、今思うと。
 あと、ちょっと話が逸れるんですけど(恐縮です)、まあやっぱり《ラジカル》の集団としての魅力は、色んなタイプの人がうまい具合にバランスを取り合っていた、ってことは確かで、ちゃんとした(?)大竹さんとかがいるからこその竹中さんやいとう君、まっとうな芸人としてのゆうじさんがいてこそのかとうけんそう、ということはあるんですね。フィリップ・ドゥクフレも言ってましたよ。彼は「IRIS」という作品で小浜正寛を抜擢してワールド・ツアーまでしたんですが、何で(よりによって)彼を選んだのか訊いたわけです。で、小浜君のヘタレなキャラを高く評価しつつ、要するに適材適所ということだ、と。で、「20人のマサが出る舞台を想像してみろ、恐ろしい!」だって(笑)。あと、こないだ宮沢さんと話していて、クレイジー・キャッツにおける安田伸は一体どういう役割の人なのか、という話になった。で、結論は「何もしない人」ということに落ち着きました。そういう役割の人も必要なんですね、じつに。ま、彼は「エビ反りながらサックス吹く人」でもありましたが。すいません、脱線して。いや、でも「何もしない人」って、まさに「静かな演劇」じゃないですか(笑)。
 さて、この辺で、いいかげんそろそろ2000年代「第二期《遊園地》」についても考えなきゃいけませんね。これまた「自ら築き上げたそれまでのスタイルをちゃらにして新たな実験を始めた」的な評言があって、それはもちろん確かにそうなんですね。宮沢さんとしては、「静かな演劇」なる方法、あるいは「現代口語演劇」という方法、そこには宮沢さんの10年間の実践も含まれます、それがやはり、またしてもある時期から当初の根拠、批評性ということ消えてしまい、表層的なスタイルだけが一般化しはじめる。そうすると「新劇」に限りなく近いものになってしまうではないか、と。そのことにいらだちを覚えるようになるわけですね。「保守化する現代口語演劇に抗い」ということが宮沢さんのなかで新しい課題となる。僕個人は今でも宮沢章夫の「静かな演劇」(あくまで宮沢章夫の、という限定付きですが)の方法は有効だと思っているのですが、たしかに現在の演劇状況を見渡せば、批評性を欠いたまま、ぼそぼそ喋るとかの演技(「ナチュラルな演技」的な理解?)や何も起こらない日常のドラマ(「ここにある小さな幸せ」とか?)を書く技術ばかりが洗練されていく、という事態が進行しているということは歴然とあるんですね。
 そういうわけで、宮沢さんは目下のところ、あれこれ試してるというのが実際のところだと思うんですよ。『TOKYO BODY』も『トウキョウ/不在/ハムレット』も『モーターサイクル・ドン・キホーテ』も全部アプローチが違う。それで、今度の『鵺/NUE』です。こないだ、稽古場に見学に行ったんです。まだ本番初日の2週間前の段階でしたけれど、いやー、驚きました。面白い! 何なんだろう、この面白さの理由は、と考えました。まず第一には、テクストの面白さです。よく、メタ演劇って言いますよね。自己言及的な構造を持ったドラマ。要はそれなんですが、その「メタ」が半端じゃない、反転に次ぐ反転、しかも裏と表の2項じゃなくて、このテキストには少なくとも3つのパラレルワールドがあって、それぞれがそれぞれを批評する、それぞれがそれぞれを否定するように機能している。「演劇は虚構」であるということを逆手に取ってるんですね。あるひとつの「リアル」を虚構しようとしても、その「虚構」を成立させるための「お約束」とは異なる「お約束」が同じ空間に複数存在するものだから、作品もそして観客も翻弄され「宙吊り」にされてしまう。逐一が冗談なのかシリアスなのか、感動していいんだか爆笑していいのか、もう何が何だかわかりません、という。その、「虚構」を成立させるための「お約束」とはすなわち演劇のさまざまな「スタイル」ということで、もっと言えば、この舞台には、アングラ演劇、現代口語演劇(もしくは新劇?)、不条理劇、ブレヒト劇などが、めまぐるしく出たり入ったりしている!
 例えば、(以下しばらくネタバレにつき注意願います)この作品には題材と関連して清水邦夫の戯曲が引用されています。それで空港のトランジット・ルームで足止めされている人たちの話だったのが、突然劇中劇が始まってアングラ芝居になっちゃうですが、あれれ、と思いながらそれを見てるとですね、ふと気がつくと「おおっ!何だかわからないけど、カッコいいなー、絶叫演技ってカタルシスあるなー、しびれる。アングラ、いいじゃん」っていうように感動してたりする自分がいる。ところが、さらにそこからもとの空港のリアリズム空間に戻ったかと思うとさにあらず、「演劇って変だと思いませんか?何であんなに大きな声で喋るんですかね。あと、独白っていうの、あれ誰に向かって喋ってるんですか」って、実際の客席の最前列の客に向かって話しかける、ブレヒトだ。 
 で、それを遂行しているのは言うまでもなく「俳優」たちです。もちろん、それぞれ出自の違う俳優たちではあるのですが、それにしても、何せ「東京乾電池」はまだしも「仮面ライダー」の人までが清水邦夫のあのレトリカルな台詞を読みあげたりしてるんですから(笑)。そして天井桟敷、夢の遊民社という演劇史上重要な役割を果たした劇団の看板俳優の2人。この2人がとにかくスゴイです。その圧倒的な身体の強度は過剰ともいえるもので、いい意味で「デタラメ」。そう、《ラジカル》の芸人と同じ「デタラメさ」を感じたんですね、その時。宮沢さんは日記で、それにしてももうちょっと押さえた演技にしてもらいたい、そのほうが魅力が増すのではないか、と書いていて、それもよくわかるんですね。なにしろそのデタラメのエネルギーのエントロピーの増大は、劇空間の破綻、崩壊まで続きかねない勢いでしたから。けど、この「勢い」はなにはともあれすごくいいことだと思うわけですね、僕は。それでやっぱり、稽古を見てすごく感じたことは、舞台全体の印象が「あれ、何か《ラジカル》っぽいな」ということだった。テキストの重層的な構造が舞台空間もたらすダイナミックな、っていうか「デタラメ」な事態、通常の劇に求められる一貫した人物造形=単一のアイデンティティから自由であることで生じた俳優たちの身体の生き生きしたグルーヴ、それが《ラジカル》や80年代を思い起こさせるのです。そもそも「引用」とか、自己同一性=固定的な場所からのめまぐるしい「逃走」というのは、きわめて80年代的な方法ではなかったですか。まあこの辺になってくると、僕の個人的な期待があって、少々強引に80年代的なるものに引き寄せて語ろうとしているというところがないわけではない。
いや、もちろん、過去をただ反復するだけでは意味がない、ということはわかっています。そこで最後に、これまた宮沢さんの最近の関心である「ネオリベ化する公共圏」問題に関連して少し。宮沢さんはこのところ、80年代の反省として「清潔」志向というものがあり、つまりは「ノイズの排除」ということで、それが今日の社会的傾向に繋がる負の遺産なのではないか、というような発言をされています。たしかに都市機能の整備が完了し、人工的な風景が出現したのも80年代だし、ウォシュレットが誕生したり、学生がこぎれいなスーツを着るようになったのも80年代です。ただ、僕の実感から言うと、そうした傾向と同程度に、いやもしかしたらそれ以上に80年代はノイズを価値あるものとして扱った時代ではなかったかという気がするのです。まず、先に挙げましたが「へたうまイラスト」がそうだし、テクノ、ニューウェイヴのバンドはノイジーな成分を多く含んだメタリック(インダストリアル)なシンセ・パーカッションを多用したり、わざとチューニングを合わせないギターでチープなメロを弾いたり、小学生の使うような鉄琴とかピアニカとかの超ヘナチョコなバンドもありました。あるいは、コム・デ・ギャルソンの服はわざと不良品のような裁断・縫製をしたのだし、デコンストラクションの建築はその後の阪神大震災のひしゃげた高速道路を先取りしていたでしょう。それはもちろん68年的な「迸る情念の血と汗」のようなものとは違う。その意味では「清潔」です。でも、やはり「ノイズ」には違いない。きわめて「都市」的なノイズというか、「身体性の薄い」身体のノイズ。そして《ラジカル》もまた、そうした80年代的な「ノイズ」として存在していたのではないでしょうか。思うに、そのノイズは意識的に選びとられた、いわば「表現」としてのノイズ、「批評」としてのノイズだった。ところが、またしても「ノイズ」に対する感性が広く一般化し、ロウ・ファイやグランジ(あるいは単に楽チンだからという理由に落ちて定着した古着の普及)がごく当たり前なこととされ、一方で度外れたゴージャスは馬鹿にされ、暴力的なノイズを先鋭化するバンドはキチガイとして敬遠されるようになったのが、つまりノイズ本来の姿である「デタラメさ」、それが消えてしまったのが90年代なのではなかったかと思うのです。そう考えると、あらためて今、80年代の「ノイズ」=「デタラメ」の中断された可能性を問い直すことはアリなんじゃないか、と。ねえ、宮沢さん!

 

(2006年、ユリイカ宮沢章夫』号 所収)