オフィスマウンテン vol.3『ホールドミーおよしお』

(2017年7月)

 

 この芝居、お話がない!にもかかわらず超オモシロい! いや、「夏フェスに行く/行った男たち女たち」あるある話、という、どーでもいい話というか話題、はある。でも、その陳腐な話題=素材を使ってアッと驚く劇的な展開、はない。なのに、一瞬たりとも目が離せない、スリルとサスペンスの1時間なのだった。一体どういうことか?
 「お話しがなくても間がもつ」時間って、つまりこれ「音楽」ってことかも、と思いつきで言ってみる。単に主演の大谷能生がミュージシャンだから、ということもあるけど。では、『ホールドミーおよしお』はいかなる音楽か?
 普通の演劇なら、ある瞬間セリフを話している者がいて、その他の者は黙って聞いている=喋らない(じっとしている)、ということで進行するわけだが、この舞台では、発話中の者以外も常に動いている。なぜか? そう、これが「バンド」の演奏だからだ。ジャズのコンボ。出演者が7人だからセプテットだね。 発話者は順番が回ってきたソロを吹いてるプレイヤーで、その他の俳優はその間バッキングに回ってる、ってことだ。
 しかも、その(動きの)バッキング演奏はソロが引き立つように控え目に、どころか、全員がものすごい勢いでカウンターメロディ繰り出してバトってる。あるいはそいつがリズム・セクションだとしたら4ビートにラテンな2拍3連かます的なポリリズムを仕掛けたり。ソロ=セリフの発話に絡みつく/干渉・介入する/ぼっち・放置プレイする複数のライン/リズム群。そして時に奇跡的に全員の周期が一致して、ユニゾンでブリッジをキメるのもクール。
 さらに、ここではソロを取る時=セリフを発している時も喋りながら身体を動かす。もちろん、それは普通の演劇のように話している内容に素直に連動した所作(復讐を誓う男が拳を握り上げる、とか)ではまったくない。つまりソロにおいては、声+動作という二つの楽器、二つのフレーズの絡み合いが起こっていて、かつそれは同期ではなく齟齬・相反状態で並走している、と。一つの身体に二つの人格的が!的な。
 そしてダメ押しとして、セリフのいたるところに施された「ダジャレ」。ダジャレこそは、どーでもいいとはいえ(笑)いちおう意味の通った文章にもうひとつの(非)意味を付与しセンテンスを二重化する、いわば言語のポリフォニーだ。
 かくして、同一の時間にたちあがる音/イメージ/運動は過剰なまでに多重化され、絡まり、結ばれ、解かれ、ズレゆき、一瞬ごとに姿を変えるグルーヴが形成され続ける。それが『ホールドミーおよしお』というチューンだ。グルーヴの渦に呑まれれつつ、なおもすべての声を聴き取ろうと欲望する時、観客の身体と意識も分割され多重化していくだろう。その引き裂かれ状態のなんともドラッギーなこと......というような感じの音楽批評、楽曲構造のより詳細&高度なやつをどこかで読んだな、あ、マイルス・デイビス論『M/D』だ、著者は菊地成孔と...大谷能生じゃん!

(初出:『ケトル』2017年)

 

「かっこいい身体」とその他の記憶(ノイズ) 「宮沢章夫<身体論>」β版

 どうも。桜井圭介といいます。今日は、「宮沢章夫の身体論」ということでお話したいと思います。で、最初にお断りしておかなきゃいけないのはですね、僕、最近はダンスにかかわる色々をしてるんですが、92年の『ヒネミ』から《遊園地再生事業団》の舞台の音楽をほぼ毎回作ってきました。宮沢さんとご一緒した仕事は、87年《ラジカル・ガジベリビンバ・システム》のアルバム(『大竹まことの「文芸春秋」』)以来、さらに遡って個人的なお付き合いは83年からになります。当時、僕は例の原宿ピテカントロプス・エレクトスの企画室に勤務しておりまして、そこに桑原茂一企画の《ドラマンス》の作家として宮沢さんが登場したわけです。僕は23才でした。そういうわけで、立場的には、まあ、かなり「身内」だということです(あと、これ、宮沢さんの東大の講義録『80年代地下文化論』のパスティーシュだったりもします、関係ないけど)。もちろん、長い間、一緒にものを作ってこれたのは、宮沢章夫というクリエーターの仕事に対してのリスペクトがあってこそ、なわけです。
 さて、宮沢演劇における「身体」、そしてその前提となるであろう「身体観」、「身体」なるものへの「まなざし」、についてです。とはいえ、80年代《ラジカル》と90年代《遊園地》そして2000年代に入ってからのいわば第二期《遊園地》とでは、宮沢さんの「作風」というか「方法論」的に見て、それなりに区別して考えなきゃいけないことは確かですよね。でも、逆に、この間一貫していることもあるような気がする。それは何か。ということで、まず3つのフェーズについて整理して、その後に、さらにそこに通底する何かを考えてみたいと思います。
 まず、90年代の《遊園地》はいわゆるところの「静かな演劇」というくくりで語られることが多いように、何も起こらない劇、劇的な事件と事件の間の日常の劇を志向し、そこに存在する身体は、芝居くさい演技を排して「ただそこに立つ」ということを基本に、「張らない」「叫ばない」「動かない」等の「〜しない」という方向の特徴を持つものであった。といったところが、あらためて僕が指摘するまでもなく、おおかたの理解だと思います。で、それは宮沢さん自身の行ってきた80年代ポストモダン的「戦略的戯れ」に対する、あるいは「バブリーな喧噪」を背景としたある種の演劇表現に対する反省、批判的視点に立った上で出てきたものである、と。
 ここで注意したいのは、「《ラジカル》→《遊園地》」を「80年代演劇→静かな演劇」一般と単純には重ね合わせられない、ということです。宮沢さんの80年代の仕事すなわち《ラジカル》のスタンスの中には、同時代の演劇に対する批判的機能が含まれていて、それは要するに「演劇臭さ」に対する批判ということではないか。何故かというと、《ラジカル》は「演劇」じゃなかったから。いや、これは言い方が難しいな。実態として、当時、その活動は劇界とは無関係の場所(いわゆるところの「業界」?)で行われていたのであり、そして、《ラジカル》の演技を担っていたのは「俳優」というよりいわゆる「芸人」と呼ばれるような人たちであった。今もシティ・ボーイズ+中村有志(+時々いとうせいこう)というまあ、かつての《ラジカル》の面子でもって年に一回の舞台「シティ・ボーイズ・ミックス」というのがありますよね。あれも今「演劇」として扱われているかといえば、例えば朝日新聞に劇評が載ったりする、ということはありませんね。《ラジカル》もそうでした(今シティ・ボーイズ・ミックスに《ラジカル》当時のような実験性や批評性があるかどうかについては意見が分かれるとは思いますが、活動の「立ち位置」としては同じだと言えます)。
 話を戻すと、演劇とは無関係な場所にあった《ラジカル》は、まず第一に80年代演劇一般が先行する演劇との関係で(「演劇内の問題」として)の乗りこえようとしたこと、情念的=観念的であること、もっと端的に「暗い」「重い」ことを、「お笑い」しかも「ナンセンス」であるという性格によって、いとも簡単にクリアしていたということ(これはまあ80年代の表現全体に共通することですね)、さらにもう一点、80年代演劇一般が“演劇として”担わざるを得なかった「演劇臭さ」例えば、おおげさな身振り、言い回し&発声など、彼らが半ば無意識に70年代あるいはそれ以前からの演劇から継承してしまったあれこれ、についても免れていたわけです。なにしろ、「演劇」じゃないんですから。にしても、今挙げたような「演劇臭さ」に対する批判的視点というは、承知の通り、90年代になって初めて問題として浮上してきたのであり、それを具体化したものが「静かな演劇」ということなのであってみれば、宮沢さんの場合、すでに解決済みの問題だったことになる。
 では、あらためて、《ラジカル》から《遊園地》への移行において何が変わったのか?です。いや、もちろんスタイルからして、もっと言えばジャンルからして既に違うことを始めちゃったということはありますよ。「コメディ」から「ドラマ」へ、「お笑い」から「演劇」へ、という。でも、宮沢さんは宮沢さんです。つまり、その時点で宮沢さんの中で何が問われたのか?ということですね。宮沢さんは「いや、単に飽きたから」って言いそうだけど。
 先に80年代の「バブリーな喧噪の反映」と「ポストモダン的な戦略的戯れ」、ということを言いましたが、この2つの差異ということを考えてみたい。このことについては『80年代地下文化論』でもしばしば言及されていますが、80年代の「功と罪」というか「光と影」といいましょうか。今日から見るとたしかに「ポストモダン的な戦略的戯れ」だと言われたことも実は単なる「バブリーな喧噪の反映」に過ぎなかった、という面が多々あり、宮沢さんも80年代自分のやってきたことについてかなり真摯に反省されている。しかし、「バブリーな喧噪の反映」と「ポストモダン的な戦略的戯れ」との関係は、じつは同時的な裏表の関係というより、「ポストモダン的な戦略的戯れ」が時とともに変質してしまい、最終的に単なる「バブリーな喧噪の反映」に帰結した、というべきなんだと思うわけですよ。
 『地下文化論』の最重要キーワードとして「かっこいい」というのがありますね。これについてはまったくその通りなんですが、出てすぐ読んだ時に、僕が一点だけ危惧したことがあります。「かっこいい」という言葉の内実がミスリーディングされる危険がなきにしもあらずだな、と。いや、よく読めばわかるはずなんですが、80年代における「かっこいい」というのは、ある意味「くだらないほどかっこいい」「かっこいい=バカ度高い」ということなんですよね。例えば「ヘタうま」というのがありました。コドモの描いた絵のようにグチャグチャ、ギクシャクした湯村輝彦のイラスト。クールなクラフトワークに対するバカっぽさのディーヴォ。さらにペナペナ&ヘロヘロのプラスチックス。いや、クラフトワークだってバカはバカなんですね。あれは、3コードとか8分音符のベースラインとか、初期ロックンロールの基本のキっていうぐらいの定型パターン、初心者の棒弾きみたいなチープさを「ワザと」やってるわけです。当時の音楽のテクノロジーのレベルは、もっと華麗で微細なオーケストラのシミュレーションが出来ていたし。あと、YMOにしても、サウンドはともかく、イメージ戦略としてはかなりバカを重視してましたね。
 で、そういう意味での「かっこいい」を最も体現していたのが《ラジカル》だったと思うのですが、宮沢さんは自分のことを語る段になるとどうも遠慮がちになっちゃうのか、《ラジカル》に関しての記述が思いのほか少なかった。
 それでですね、「かっこいい」ということに対して反発する、そこから排除されたという意識を抱く者らの敵視する「かっこいい」というのは、僕なりに考えるてみると、それはバブル以降80年代末になってから出てくる(その頃初めて使われ出した言葉ですが)「小じゃれた」という形容で呼ばれたあれこれのことではないかと思うんです。例えば、「アニエスb」とか、いわゆるど真ん中の「渋谷系」ポップスとか。つまり、もうそこにいたると「かっこいい(=クーダラナイ)」というカッコ内がなくなってしまって、ただの「かっこいい」に変質してしまっているんですよ。もともとの80年代的「かっこいい」は「かっこ悪いほうがかっこいい」というか、逆に言えば「かっこいいということはなんてかっこ悪いんだ」という認識が前提で「かっこよさ」を追求していた。いわば「キャンプ」的な態度ですね。まあ、そういう斜にかまえた態度というのはまだるっこしいってことで、支持されなくなった、と。そこに80年代の精神の脆弱さがあったといえるかもしれない。
 自分に近いことで一つ言うと、ピテカン周辺で当時「かっこいい」とされた音楽にマーチン・デニーの「エキゾチック・サウンド」というのがあって、ヤン富田のいた(ピテカンの専属バンドの)「ウォーター・メロン」がそれのカヴァー・バンドだったし、それ以前に細野さん経由でYMOにも入ってるんですが(「ファイヤー・クラッカー」がM・デニーのカヴァーですね)、50年代アメリカの、まあ手っとり早く言えば、相当インチキなオリエンタル風味のラウンジ(基本はジャズ・コンボだけど三味線でマイ・ファニー・バレンタインとか!)で、とにかくそれが「かっこいい」のは超キッチュだから、ということでした。ところが、まあ、これは僕の知人でもあったんですが、いわゆるところの「渋谷系のドン」がセレクトして、80年代末にベスト盤CDを出した。いちおう日本ではじめて発売されたM・デニーのCDです。で、これがですね、エグ味のほとんどない、つまりM・デニーらしくない、ごく普通のラウンジとして通用するような曲ばかり選んでいるのね。そう、まさに「小じゃれた」アルバムだった、ということです。
 えーと、話が先に進まないよ、とお思いでしょうが、あと、もう一点。「かっこいい=ダサい」という80年代的態度は、最初は「おたく」と「新人類」を問わず共有されていたんですね。それが、ある時期に「ダサい」と「かっこいい」になって分岐してしまったということです。まず、近田春夫の歌謡曲へのリファーというのありましたね。80年代には『考えるヒット』のもとになる歌謡曲批評を『ポパイ』で連載してました。それから『よいこの歌謡曲』というサブカル(!)雑誌、『写真時代』という白夜書房のインテリ向け(?)エロ雑誌、ニュー・ウェイヴな自販機エロマガジン『Heaven 』、同じくニュー・ウェイヴ野郎&インテリの間でのエロ漫画ブーム、その流れで出現したロリコン漫画(内山亜紀)、これも最初は「冗談」として理解され「うわっ、ヒド過ぎる(=かっこいい)!」っていう感じで面白がっていました。「今おしゃれなマンガと言えばロリコンだ」的な(笑)。それが、ある時期から「本気」になって「萌え」が出現するわけですね。
 ということで、話を宮沢さんに戻しますと、90年に宮沢さんが《遊園地》を始める時にですね、既に「戦略としてのポストモダン的遊戯」という方法、つまり「かっこいい(=バカ)」という二重性が、一般に理解されなくなってしまい、戦略としてうまく機能しなくなった、という認識がなされたのではないでしょうか。《ラジカル》の最大の武器は「批評としての笑い」でした。しかし、「かっこいい(=バカ)」からカッコの中が消えてしまい「かっこい=かっこいい」としか読まれなくなったの同様に、「お笑い」という方法から、批評性が消えてしまい、いやそうではなく、人々がそこに批評的なものを読み込むことをしなくなった、と。言い換えれば、いかに批評性があろうとも「お笑い」という形式で提示されるやいなや、ひとくくりに単なる「お笑い」として消費されてしまうことになった、ということです。
 『地下文化論』では、80年代(ラジカル)=「機動戦」、90年代(遊園地)=「陣地戦」という言い方もされています。「戦略」として、あちこちにちょっかいを出しに出かけていっては(その場その場で)価値を紊乱したり転倒させることから、陣地を確保して根気強く考える、分析する、敵を負かす方法を研究することへのシフト、宮沢さんはそんなふうに説明されてたと思いますが、では、具体的に《ラジカル》と《遊園地》を比べると、どんなことが言えるか、です。
 まず、さっきも言ったように、《ラジカル》の出演者は「俳優」ではなく「芸人」であった。「芸人」の「演技」とは、俳優の演技とは違います。そもそも何かの役を演じるのではない。芸を見せるためにそこに「存在」する存在。その「芸」とは様々であり、《ラジカル》で言えば、「笑い」です。「笑い」が成立するための仕掛け=構造は宮沢さんのテキストと演出が担うわけですが、それを出現させるのは個々のメンバーのそれぞれ「唯一無二」の「身体ー存在」、強烈な存在感を放つ彼らの身体である。「身体」による「行為」。「演技」ではなく「身体ー行為」。
 いっぽう「《遊園地》」はといえば、「俳優」がある「ドラマ」の中で何かの「役を演じる」という「演劇の構造」を前提としています。何故「俳優」か? という問いをひとまず措くと、とにかく《ラジカル》の芸人の身体と《遊園地》の俳優(に限らず「俳優」なるものの一般)の身体では、その身体が放つ強度が全然違います。例えば、《ラジカル》の舞台を俳優が再現することなど想像できませんし、《ラジカル》の面々(芸人)のあのデタラメさ(!)は模倣=演技によっては獲得できないわけです。
 ところで、《遊園地》の「演技」の基本は、「ただそこに立つ」でした。ここで、ひとつの「仮説」を立ててみたいんです。まあ自分でもかなりな「仮説」だという気がしないでもないんですが、《遊園地》においては、《ラジカル》の芸人の特別な身体が持つ強度をフツーの身体によって提示するための方法として、「ただ立つ」が要請されたのではないか、と。たしかにそこでの俳優は(演技らしい演技をしないという意味で)「何もしない」のですが、何もしていないわりには妙に存在感を持っていたんですね。
 《遊園地》の俳優たちというと、まず初期には温水洋一に代表されるダメ男俳優、滑舌の悪い小浜正寛(ボクデス)、次いでワークショップなどから演劇経験の浅い(ヘタクソな)若者の素の身体を積極的に登用し、さらにはしりあがり寿小玉和文ミュート・ビート)、鈴木慶一ムーンライダース)といった魅力的なキャラクターを持った「素人」が登場したわけです。共通して言えるのは、フツーの俳優(テクニックも身体も立派な)にくらべて彼らのほうが断然いきいきしてるということです。
 まあ、温水くんやしりあがりさんの場合は、配役の妙という言い方も出来ますから、やはりこの問題を考えるにあたって核心となるべきは「演劇経験の浅い若者たち」でしょう。その身体は「何も特長のない」という意味での「フツーの身体」の提示(というふうにしばしば誤解され勝ちですが)とは違うんですね。で、それは身体に対する宮沢さんの「まなざし」ということが前提としてあるはずです。たとえば、ある俳優は「下唇を突き出す」のが癖なんですが、宮沢さんはことあるごとにそれをからかう。もはや「佐伯は下唇」ということです。もちろん本人はヒドく気にしますが、それが魅力なんだから、しょーがない、というかまあむしろいいことじゃないか、と(笑)。あるいは、ある女優については「ちょっと目を離すと必ず内股になってる笠木」だし、またある俳優については「気がつくといつも体が斜めってる渕野」ということになる。実際そうなんですけどね。ちょっとイジワルな、でも愛があるまなざし。やはり人それぞれの魅力はその人の「ヘンな癖」に出る、ってところを見てるんじゃないかなと思うんです、宮沢さんは。とはいえ、宮沢さんのカラダ、っていうのもあるなー、実にいい感じなんですね。(もちろん100%肯定的に言っているわけですが)彼のあのまるっこい体型、そこから突き出した粘土のような腕、そしてこれまたまるっこい手、指。『地下文化論』に、講義中の宮沢さんの写真がたくさん載ってましたが、とりわけあの印象的な「手振り」がよく撮れてました。その宮沢さんは、アカデミー賞受賞スピーチ(「Shame on You, Bush!」)の時の「腕を振り回すマイケル・ムーア」を思い出させる。かっこいいんです。
 とにかく、こんなふうに見ていくと「静かな演劇」(の少なくとも公式的というか世間的な了解)とはいささか違う姿があらわれてくるんですね。「フツーの」と言うとき人はえてして標準的な、あるいはニュートラルな、というふうに受け取りがちですが、《遊園地》の俳優はそういう意味での「フツー」からはズレているとも言えるわけです。ある文章で宮沢さんはこう書いています(これ、《遊園地》のウェブサイトにもアップされてる原稿なんだけど、現行のトップページからはリンク張られてないんですね。隠しドアがどこかのページにあるんで、探してみてください)。
<私は、舞台上に存在する世界に俳優が生きていればいいと考える。「見せる身体」ではなく、「生きる身体」だ。(中略)生きている身体は、どこか歪んでいるに違いなく、個々に差異を抱え、生きる身体がただそこに立っていれば、それだけで、表現が生まれる。「差異」そのものが、「表現」になる。(「ただ立つ」95年シアターアーツ誌所収より)>
これを敷衍して僕なりに言うならば、この世界に存在するフツーの人の魅力は、その「姿勢の悪さ」やその「滑舌の悪さ」や一挙手一投足の「不器用さ」にこそ顕われる、そしてそれが劇に「リアル」をもたらすのだ、と。僕も傍らでずっと彼らの立ち姿を見てたびたび感動してきたんですが、それは「あー、あの台詞を言うときの彼の猫背はきれいだったなー」とかそういうことばっかりです。そうした彼らの「微細」な魅力は、もちろん《ラジカル》の芸人たちの「炸裂」する魅力とは違うのですが、それを拾う宮沢さんの「身体に対するまなざし」、そして舞台のなかに「世界」を成立させるための身体のありようについてはある意味、共通しているんじゃないか、と。
 「(ラジカルの芸人)の特別な身体が持つ強度を、フツーの身体によって提示するための方法」としての「ただ立つ」という推理、じつはですね、これ僕が以前に「ピナ・バウシュのタンツテアターはなぜ発想されたか?」について考えたのと同じ論法なんですよ、ユリイカの「ピナ・バウシュ特集号」(95年)で。かいつまんで言うと、バウシュのタンツテアターは、通常のダンスのようなジャンプとか回転技とかいうものが一切ない、そのかわりに、ごく日常的な仕草、ちょうど人が話してるときの無意味な手振りのような、小さくてちょろちょろっとした動きに満ちあふれている。それらの誰でも出来るような簡単な仕草というのは、じつはへたに中途半端なテクニックで無理して跳んだり回ったりするよりも、はるかに繊細であり、雄弁でなのである。で、それは誰もがフツーの身体で「天才ダンサー」と同じ繊細さや強度を獲得する方法、として考えられたのではないか、と。さっきの宮沢さんの言葉、「見せる身体」ではなく「生きる身体」、「個々に差異を抱え、生きる身体」「差異」そのものが、「表現」になる、等々。これって、まるっきりピナ・バウシュじゃないですか。
 そう言えば、宮沢さんが前にバウシュについてすごくいい評を書いていたんですが、その中で、宮沢さんがとにかく一番驚いたことは、あるシーンでダンサーが椅子に座ったのだけれども、座った瞬間いきなり後ろに椅子ごと倒れたことだ、と。これには笑っちゃったよ、と。そんなことするのはダンスというよりモンティ・パイソンか《ラジカル》じゃないのか、ということですね。あるいは転倒というダンスにあるまじき行為に《遊園地》的な「不自由な身体」を見たのかもしれません。
 ところで、《ラジカル》のメンバーといっても、じつはそう簡単にひとくくりにできないことも事実なんですね。『地下文化論』で宮沢さんは、芸人の資質として「身体性の濃い/薄い」ということを語っていて、それによると、身体性の「濃い」のは由利徹ビートたけし竹中直人。「薄い」ほうは、トニー谷タモリ、そしていとうせいこうです。いとうせいこうの芸人としての新しさについて「身体性の薄い芸人」というふうに定義してるんですね。それ言い方を変えるとインテリな笑いということかなと思うんですが、頭/身体という分け方とは別に、「身体性の薄い笑い」と規定された人(いとうせいこうタモリ)は、従来のコメディアンと比較して、芸達者でない人、身体が鍛えられてない人、固いからだの人、不器用な身体の人ということが出来るのではないでしょうか? まさに、いとう君は「新人類の旗手」だったわけですが、それはフツー(従来)の意味ではまったく芸人の身体ではなかったということでもあるのです。そもそも出版社勤務の雑誌編集者なわけだし。宮沢さんは身体性の濃い芸人(竹中直人シティボーイズ)の圧倒的な強度を持つ身体に魅了されつつ、新しいタイプの身体、言ってしまえば、「弱っちい身体」「ダメ身体」にも引きつけられた。いとう君のほかにも、途中から参加したかとうけんそう加藤賢崇)とか江原由季子(現YOU! )とか。で、《ラジカル》のなかの、この「芸人基準」から言えば「身体性の薄い」身体というのが、案外と《遊園地》の俳優の身体のモデルというかオリジンだったのかも知れませんね、今思うと。
 あと、ちょっと話が逸れるんですけど(恐縮です)、まあやっぱり《ラジカル》の集団としての魅力は、色んなタイプの人がうまい具合にバランスを取り合っていた、ってことは確かで、ちゃんとした(?)大竹さんとかがいるからこその竹中さんやいとう君、まっとうな芸人としてのゆうじさんがいてこそのかとうけんそう、ということはあるんですね。フィリップ・ドゥクフレも言ってましたよ。彼は「IRIS」という作品で小浜正寛を抜擢してワールド・ツアーまでしたんですが、何で(よりによって)彼を選んだのか訊いたわけです。で、小浜君のヘタレなキャラを高く評価しつつ、要するに適材適所ということだ、と。で、「20人のマサが出る舞台を想像してみろ、恐ろしい!」だって(笑)。あと、こないだ宮沢さんと話していて、クレイジー・キャッツにおける安田伸は一体どういう役割の人なのか、という話になった。で、結論は「何もしない人」ということに落ち着きました。そういう役割の人も必要なんですね、じつに。ま、彼は「エビ反りながらサックス吹く人」でもありましたが。すいません、脱線して。いや、でも「何もしない人」って、まさに「静かな演劇」じゃないですか(笑)。
 さて、この辺で、いいかげんそろそろ2000年代「第二期《遊園地》」についても考えなきゃいけませんね。これまた「自ら築き上げたそれまでのスタイルをちゃらにして新たな実験を始めた」的な評言があって、それはもちろん確かにそうなんですね。宮沢さんとしては、「静かな演劇」なる方法、あるいは「現代口語演劇」という方法、そこには宮沢さんの10年間の実践も含まれます、それがやはり、またしてもある時期から当初の根拠、批評性ということ消えてしまい、表層的なスタイルだけが一般化しはじめる。そうすると「新劇」に限りなく近いものになってしまうではないか、と。そのことにいらだちを覚えるようになるわけですね。「保守化する現代口語演劇に抗い」ということが宮沢さんのなかで新しい課題となる。僕個人は今でも宮沢章夫の「静かな演劇」(あくまで宮沢章夫の、という限定付きですが)の方法は有効だと思っているのですが、たしかに現在の演劇状況を見渡せば、批評性を欠いたまま、ぼそぼそ喋るとかの演技(「ナチュラルな演技」的な理解?)や何も起こらない日常のドラマ(「ここにある小さな幸せ」とか?)を書く技術ばかりが洗練されていく、という事態が進行しているということは歴然とあるんですね。
 そういうわけで、宮沢さんは目下のところ、あれこれ試してるというのが実際のところだと思うんですよ。『TOKYO BODY』も『トウキョウ/不在/ハムレット』も『モーターサイクル・ドン・キホーテ』も全部アプローチが違う。それで、今度の『鵺/NUE』です。こないだ、稽古場に見学に行ったんです。まだ本番初日の2週間前の段階でしたけれど、いやー、驚きました。面白い! 何なんだろう、この面白さの理由は、と考えました。まず第一には、テクストの面白さです。よく、メタ演劇って言いますよね。自己言及的な構造を持ったドラマ。要はそれなんですが、その「メタ」が半端じゃない、反転に次ぐ反転、しかも裏と表の2項じゃなくて、このテキストには少なくとも3つのパラレルワールドがあって、それぞれがそれぞれを批評する、それぞれがそれぞれを否定するように機能している。「演劇は虚構」であるということを逆手に取ってるんですね。あるひとつの「リアル」を虚構しようとしても、その「虚構」を成立させるための「お約束」とは異なる「お約束」が同じ空間に複数存在するものだから、作品もそして観客も翻弄され「宙吊り」にされてしまう。逐一が冗談なのかシリアスなのか、感動していいんだか爆笑していいのか、もう何が何だかわかりません、という。その、「虚構」を成立させるための「お約束」とはすなわち演劇のさまざまな「スタイル」ということで、もっと言えば、この舞台には、アングラ演劇、現代口語演劇(もしくは新劇?)、不条理劇、ブレヒト劇などが、めまぐるしく出たり入ったりしている!
 例えば、(以下しばらくネタバレにつき注意願います)この作品には題材と関連して清水邦夫の戯曲が引用されています。それで空港のトランジット・ルームで足止めされている人たちの話だったのが、突然劇中劇が始まってアングラ芝居になっちゃうですが、あれれ、と思いながらそれを見てるとですね、ふと気がつくと「おおっ!何だかわからないけど、カッコいいなー、絶叫演技ってカタルシスあるなー、しびれる。アングラ、いいじゃん」っていうように感動してたりする自分がいる。ところが、さらにそこからもとの空港のリアリズム空間に戻ったかと思うとさにあらず、「演劇って変だと思いませんか?何であんなに大きな声で喋るんですかね。あと、独白っていうの、あれ誰に向かって喋ってるんですか」って、実際の客席の最前列の客に向かって話しかける、ブレヒトだ。 
 で、それを遂行しているのは言うまでもなく「俳優」たちです。もちろん、それぞれ出自の違う俳優たちではあるのですが、それにしても、何せ「東京乾電池」はまだしも「仮面ライダー」の人までが清水邦夫のあのレトリカルな台詞を読みあげたりしてるんですから(笑)。そして天井桟敷、夢の遊民社という演劇史上重要な役割を果たした劇団の看板俳優の2人。この2人がとにかくスゴイです。その圧倒的な身体の強度は過剰ともいえるもので、いい意味で「デタラメ」。そう、《ラジカル》の芸人と同じ「デタラメさ」を感じたんですね、その時。宮沢さんは日記で、それにしてももうちょっと押さえた演技にしてもらいたい、そのほうが魅力が増すのではないか、と書いていて、それもよくわかるんですね。なにしろそのデタラメのエネルギーのエントロピーの増大は、劇空間の破綻、崩壊まで続きかねない勢いでしたから。けど、この「勢い」はなにはともあれすごくいいことだと思うわけですね、僕は。それでやっぱり、稽古を見てすごく感じたことは、舞台全体の印象が「あれ、何か《ラジカル》っぽいな」ということだった。テキストの重層的な構造が舞台空間もたらすダイナミックな、っていうか「デタラメ」な事態、通常の劇に求められる一貫した人物造形=単一のアイデンティティから自由であることで生じた俳優たちの身体の生き生きしたグルーヴ、それが《ラジカル》や80年代を思い起こさせるのです。そもそも「引用」とか、自己同一性=固定的な場所からのめまぐるしい「逃走」というのは、きわめて80年代的な方法ではなかったですか。まあこの辺になってくると、僕の個人的な期待があって、少々強引に80年代的なるものに引き寄せて語ろうとしているというところがないわけではない。
いや、もちろん、過去をただ反復するだけでは意味がない、ということはわかっています。そこで最後に、これまた宮沢さんの最近の関心である「ネオリベ化する公共圏」問題に関連して少し。宮沢さんはこのところ、80年代の反省として「清潔」志向というものがあり、つまりは「ノイズの排除」ということで、それが今日の社会的傾向に繋がる負の遺産なのではないか、というような発言をされています。たしかに都市機能の整備が完了し、人工的な風景が出現したのも80年代だし、ウォシュレットが誕生したり、学生がこぎれいなスーツを着るようになったのも80年代です。ただ、僕の実感から言うと、そうした傾向と同程度に、いやもしかしたらそれ以上に80年代はノイズを価値あるものとして扱った時代ではなかったかという気がするのです。まず、先に挙げましたが「へたうまイラスト」がそうだし、テクノ、ニューウェイヴのバンドはノイジーな成分を多く含んだメタリック(インダストリアル)なシンセ・パーカッションを多用したり、わざとチューニングを合わせないギターでチープなメロを弾いたり、小学生の使うような鉄琴とかピアニカとかの超ヘナチョコなバンドもありました。あるいは、コム・デ・ギャルソンの服はわざと不良品のような裁断・縫製をしたのだし、デコンストラクションの建築はその後の阪神大震災のひしゃげた高速道路を先取りしていたでしょう。それはもちろん68年的な「迸る情念の血と汗」のようなものとは違う。その意味では「清潔」です。でも、やはり「ノイズ」には違いない。きわめて「都市」的なノイズというか、「身体性の薄い」身体のノイズ。そして《ラジカル》もまた、そうした80年代的な「ノイズ」として存在していたのではないでしょうか。思うに、そのノイズは意識的に選びとられた、いわば「表現」としてのノイズ、「批評」としてのノイズだった。ところが、またしても「ノイズ」に対する感性が広く一般化し、ロウ・ファイやグランジ(あるいは単に楽チンだからという理由に落ちて定着した古着の普及)がごく当たり前なこととされ、一方で度外れたゴージャスは馬鹿にされ、暴力的なノイズを先鋭化するバンドはキチガイとして敬遠されるようになったのが、つまりノイズ本来の姿である「デタラメさ」、それが消えてしまったのが90年代なのではなかったかと思うのです。そう考えると、あらためて今、80年代の「ノイズ」=「デタラメ」の中断された可能性を問い直すことはアリなんじゃないか、と。ねえ、宮沢さん!

 

(2006年、ユリイカ宮沢章夫』号 所収)

『家と出来事 1971-2006年の会話』

松田正隆+遠藤幹大+三上亮『家と出来事 1971-2006年の会話』

 1971年に建てられ、何組かの家族が入れ替わり暮らした後、10年前から空き家になっている二階建て住宅。そのリビングやダイニング、台所や廊下や縁側で、日々の生活の中で交わされたかもしれないさまざまな会話や日常音を、その場所に身を置いて「聴く」サウンドインスタレーション

 いわば「家」全体が「サラウンド再生機器」になっているわけだが、人間にとって「家」と何か?という考察、そこに住まう人たちの「記憶庫」、そこで生起した出来事-記憶が記録されたメディアとしての「家」、といったメタファーを実体化したものと言える。

 もちろん再生-上演される音・声は新たに(ただしその場所で)録音されたものであり、会話は「フィクション/フェイク」だ。その意味では、これはサイトスペシフィックな「演劇」と言える 。ただし、俳優が一人も出て来ない演劇。

 とは言えそこに「物語」と呼べるようなものはなく、35年の間のある日ある時間の「場所の記憶」の断片が次々と脈絡なく明滅する。父と息子、母と娘、妻と夫の他愛のない会話、ときには妻と浮気相手の男の密会、二階のほうからは誰かが夢にうなされ意味不明の叫び声が、ステレオからはニール・ヤング、テレビは東北新幹線開通のニュースや深夜映画を映し出す。

 繰り返すが、ここには声の主、生身の人間が登場しない。 にもかかわらず、確かにそこには出来事が生起し、人物が立ち上がっていた。むしろそこにいる私が透明になって覗き見=盗み聞きしている気分になったり。おそらく、通常の演劇においては単なる「舞台セット」に過ぎない部屋、家具調度、窓の外の庭がここでは俳優のように生身の存在として現前しているのだ。録音されたものとはいえ声・物音もまた空気の振動として物理的に発せられ、その瞬間そこにいる私の耳に届く(幻聴とは異なる)「現実」なのだ。

 じつはこの展示と同時期に別の場所で、作者のうち二人、松田と遠藤が所属する「マレビトの会」の“演劇”『福島を上演する』公演があったのだが、そちらは舞台セットも小道具もなし(食卓も食器もない食事のシーン、エアでバレーボールの練習etc.)、ダンスを踊るシーンにいたっては、見えないラジカセから鳴っている筈の音楽が聴こえない!なのにみんなで揃って踊りまくる、というこれまた不可思議なものであった。

 そう、この演劇上演とインスタレーションは裏・表の関係にあって、つまり『福島~』にないもの「家具調度=モノ、音」が『家と出来事』にはあり、反対に『福島~』にあるもの「身体」は『家と出来事』には欠けていたわけだ。どちらも普通の演劇上演の構成要素から何かを差し引いている。そのことによって演劇の「条件」を問うているのはその通りだが、そればかりかかえって「リアル」の強度が増すことに。

 演劇体験における視覚・聴覚は視聴覚という1セットでもなく、見える/聞こえる、ゆえに在る、見えない/聞こえない、ゆえに(居)ない、という単純なものではない、ということだ。

(2016年『ケトル』所収)

 

さいたまトリエンナーレ2016

松田正隆+遠藤幹大+三上亮『家と出来事 1971-2006年の会話』

於 旧部長公舎

2016年9月24日〜12月11日

 

saitamatriennale.jp

岡田利規『God Bless Baseball』舞台評

アレゴリーの身体」

 「国民的スポーツ=野球を題材に日韓両国の歴史と文化の背後に存在するアメリカを浮かび上がらせる」という宣伝コピー通りの作品、そしてその目論見は見事に成功していたと思う。これは間違いない。
 次々と繰り出されるアレゴリー( 野球=アメリカ=父親/日韓=兄弟/イチローの背番号51=合衆国51番目の州アメリカの属国/野球=アメリカの「光と影」=夢と希望を与えつつ服従・隷属を要求/開いたパラソル状のオブジェ=野球の神様=日韓を規定する「核の傘」=アメリカ等々)。それらはすべて解釈の余地を残すことのない、反語的に読まれる恐れの決してない寓意で、 非常に明快だが、ある意味「図式」的でちょっと窮屈、と思う。事前に戯曲を読んだ時にはそう感じた(白状すると、アレゴリーとかメタファーは好きじゃない)。
 だが、上演の実際においては、逆にそれが稀に見る効力を発揮していた。 考えてみれば、そもそも「自分じゃない誰かを演じる」という「演劇」の大前提は、アレゴリーの「あるものを別の何かで表す」「A=B(Aの代替としてB)」という構造と似ている、というか同じではないか。そう、この舞台で行なわれていたことは、アレゴリーを「遊び道具」にして「プレイ=演戯」するということ。
 まず、わざわざ日本人俳優が韓国人の役を演じる、韓国人が日本人役を、イチローではなくイチローのモノマネ芸人を演じる、という「ごっこ遊び」。「自分じゃない誰かを演じる」ことは「自分じゃないもの=他者」のことを想像することだ(観客にとっても)。こうして、日・韓という「似ているけど違う」者を、「野球=アメリカを共有する他者」のことを想像することが可能となるだろう。
 さらに、偽のイチロー(を演じる舞踏家・捩子ぴじん)が「奥義」を伝授すると称して突然始まるワークショップ。指先から始まり手、腕、胴体と、身体の部位を意識から切り離して「自分じゃなくする」エクササイズ。並んで立った俳優たちが見る間にブトーもどき、チェルフィッチュ的身体になっていく!面白い! ところが、やがて「首から下が自分じゃない」、遂には「頭が自分じゃない」状態に達するにいたって、このシーンが主体性を奪われ、そのこと自体も忘れている我々のアレゴリーであることに気付き、戦慄するのだ。
 あるいは、女子2人のバッティング練習の最中、ナレーションによって回想される現代韓国史。1997年、韓国は経済危機に陥った。IMFは支援の条件として酷薄な改革案を強要。リストラによる失業...というナレーションを聞きながら、ひたすら空振りし続け、加速度が増しついには暴走する女子(ウィ・ソンヒ)のアクション=ダンスの痛切な強度。
 つまりこうだ。まずアレゴリカルな「図式」があり、そのくっきりとした枠線で囲まれた空白、そこに投入される「身体」の放つノイズが、翻ってアレゴリーをリアルなものにし、 上演全体が、単なる図式・記号ではない、いわば「アレゴリーの身体」となるのだ。
 同様に、高嶺格の美術、中空の「開いた傘」も、終盤、岡田利規(らしき人物を演じるイ・ユンジ)が傘=父に向かって少年時代の父=野球へのわだかまりを吐露する長台詞のなか、ゆっくりと溶解し、ぼたぼたと肉塊のように床に落ちていく。このグロテスクな崩壊のプロセスが観客の身体にもたらす生(ナマ)な感触によって、美術もまた単なる寓意的な意匠ではない「身体」、「アクター」として作用するのだった。

 

(『美術手帖』2016年2月号 初出)

『音で観るダンスのワークインプログレス』

 「音で観るダンス」。つまり、目の不自由な人のためのダンス観賞「音声ガイド」の作成を目的とした研究プロジェクトのワークインプログレス、経過発表会。
 近年、視覚障害者のための劇映画やドラマの音声ガイドは普及しつつあるというが、セリフを補足するかたちで、今話しているのは誰か? そこは何処か、昼か夜か、天気はどうか、向き合って話しているのか、並んでか? といった情報を提供するそれとは異なり、ダンスの場合、ストーリーもなく、食器を取るために「右手を伸ばす」とか、小銭を拾うために「腰を屈める」といった目的動作でもない動きの連なりを、どのように知らせることが出来るのか? そして、我々が普段ダンスを見ることから得ている「感興」に似たものを提供することが出来るのか?
 発表会は、捩子ぴじん振付のソロダンス作品が作者本人によって踊られ、レシーバーで音声ガイドを聞く、という趣向。音声ガイドは作者=踊り手自身が付けたもの、研究会参加者たちが考えたもの、能楽師の安田登によるものの3種類が用意された。しかし、これが同じダンスのことなのかと思うほどまったく違う!あるシークエンスを各々どう説明したか? 少し見てみよう。
捩子「尻穴から頭頂へウエーヴ。案山子になって起き上がる。風に吹かれる。股割り。地球の中心へ全体重。爪先立ちからのガクガク、脳梗塞のジェームスブラウン」。
研究会「左を向き、両手を横に開く。広げた両足で地面を打つ。体を震わせながら少しづつ舞台中央へ」。
安田「や!痛みがまた暴れだした。四方八方に鋭角なトゲが出る。凶暴な金平糖のような鋭いトゲ。腹の中が攪拌される」。
 捩子のガイドは「僕はこれをこんなふうなものとして作り踊っています」といういわば「著者解題」。研究会バージョンは、極力客観的な記述を心がけており、ダンサーの空間上の位置、移動の方向、手足の位置情報を正確・精緻に伝えようとする。能の「謡」ふうに発声される安田登バージョン(本人の声)は、「私は部屋である、私の中になにやら異物が迷い込んだらしい。」という一言から始まる。つまり、ダンサーを体内の異物と見立て、ダンスを客体として対象化しつつも私がそれを体感する、という主観=客観というべきか。
 つまりこの試みは(障害者福祉の試みであると同時に)、ダンスを記述する方法の問題、さらに言えばそもそも「ダンスを見る」とは何か、何を見ているということなのか、という問いが提起されているのだ。 僕自身が普段ダンスをどう見ているのか? あらためて考えさせられた。それが退屈な時は、動きの逐一が平板で「何かあれこれ忙しく動いてるなー」としか感じられない。逆に、ダンスが面白い時は、さまざまな情報が一気に飛んできて、複層的に受け止めている。まさにこの日の音声ガイド3つを同時に聴くように、多様なレイヤーの重なりを一個の身体に見ているのだ。ダンスという行為/体験の豊穣さ。そして、聴覚で、というより言葉で伝えることの難しさもまた。

公演データ:『音で観るダンスのワークインプログレス』2017年9月16日 KAAT大スタジオ
 http://www.kaat.jp/d/ws916

初出:『ケトル』(太田出版)2017年10月

イデビンアン・クルー『関係者デラックス』

 いやー、面白かった。で、何と言っても佐伯新である。佐伯を起用して使いこなしたというか最大限の魅力を引き出した井手茂太もあっぱれだが、佐伯も半端じゃなく、汗だくになっての渾身の踊りっ振りを見せてくれた。ま、もとから汗っかきだが。
 佐伯新の“魅力”―カッコ悪さ、情けなさ、ダメダメ感―それはそもそもイデビアン・クルーのダンスの魅力を表す形容でもある。ただし、これまでのイデビアンが、おそらく中心的ダンサー=中村達也の身体性が基準となって、ボーっとした感じというかヘロヘロ感・脱力感が身上だったとすれば、佐伯の投入によって、あせりまくる人の「キョドり」とか無意味なハイテンションといった別種の「ダメさ」が加味されて、2倍おいしいことになっていた。
 この2種の「ダメ」が作品のプロットにもうまく利用されている。すなわち、まったくもって平然として淡々と「デタラメ」を繰り出す者たちと、それに一々驚き、困惑のあまりおかしなリアクションをしてしまう男(佐伯)という構図。あ、つまりこれは彼の見ている夢なんだな。
 夢の中、高い天井にシャンデリアが吊られたほの暗い部屋で、俺(佐伯)はグレーの背広にネクタイ姿で、和装の婦人、詰襟の少年2人、赤いギンガムチェックのワンピースやら吊りスカートの少女3匹と一緒に並ん立っていた。それは家族のよう。ってことは、俺、父親? 詰襟の息子の一人がいきなりコケる。正座してたわけでもないのに足が痺れてよう立たんらしい。ひとしきり足萎えのダンスをして隣の兄弟にすがって元の位置に立つ。何がうれしいのかニヤリ。何じゃコイツは。突然鳩時計が鳴ると、今度は3姉妹が音に合わせて首を前に突き出す。うわっ、気色悪いガキ。何とも奇っ怪だ。逐一、訳が分からないのである。しかるに、この者たちは皆まったく平然としてそれらの出鱈目を行っているではないか。だが、気がつけば猿股姿、脱いだ靴下を両手に持って踊り出す俺、ああ何と愉快な事よ!
 「不条理(ナンセンス)」とは結局のところ「夢の文法」なのだ。夢の中では、理路整然としたことを述べているように思われるが、実は意味不明の謎の単語の羅列である、というような。
 かつてのイデビアンは、日常のよくあるシチュエーションをまず前提として、それが何かのはずみでズレる、という手順を踏んでいた。ところが、近年どんどん「不条理」度が増していき、今やのっけから既にしてわけわかんねー状況になっている。にもかかわらず観客がついていけるのは今回、登場人物に「キャラ」設定が付与されたからではないか。ああこれは家族の風景スケッチ的なものなんだなと安心させておいて思う存分デタラメを繰り広げる、そのための「だまし餌」。その際、ことのほか大きな意味を持つのは「衣裳」だ。
 デビュー当時の全員が黒の稽古着の上下に白ブリーフを始め、全員が黒の喪服(お葬式)、Tシャツにパンツというカジュアルで統一(フリムクト)といったように、これまでのイデビアンの衣裳は、いわば「ユニフォーム」的であった(レオタードの機能と同様な)のに対して、今回は服装によって各々が役柄として把握され、観る者の視線が投影しやすくなったように見せて、逆に行為の抽象(無意味)度は高まっている。さらに、ここには佐伯一家とは別にチアガールやら警備員といったコスプレな役柄も存在する。ブルマーはいてバレーボール抱えた女は、だからどう見てもバレーの選手だが、じゃあなぜそこにバレー選手が存在するのかは全く意味不明で、そういう怖さというのもある。
 そしてもちろん「動き」。これまで井手は一貫して、石ころに躓いてコケそうになっておっとっとする身体のグルーヴを、機敏にさっと石をよけたりするようなつまりダンス的とされるしなやかな身のこなしに対峙させ、(もう一つの)ダンスとして提示してきたわけだが、今回は、一旦ダンス=運動として抽象化された日常動作を再び「行為」にさし戻しているように見える。ただし行為の原因は消去して。
 例えば冒頭シーン、和装の婦人が立ち寝状態でこっくりこっくりしている。足を揃えてぴょんと前へ一歩。間をおいてまたこっくりして、ぴょん。こっくり、ぴょん。何じゃソレ?と思うだろう。これをレオタード着た「ダンサー」の運動として抽象的に提示すれば、直立して体の軸を左右に10°揺らす。6番ポジションで小さくジャンプ。以下8回反復。とか記述可能だろう。そして、「立ち寝」も「足を揃えてぴょん」も日常動作として見れば理解可能だ。しかし、何故、奥さんがそれをそこで行うのかが、分からないのよ!しかも、何故「立ち寝」→「ぴょん」なのか !?
今日び、どんなおかしな動きも、それを「ダンス」として行えば、ああダンスだなと了解されかねないが、このいわば「演劇を偽装した場」でしかも「石ころ」なしでおっとっとするなら、「挙動不審」という、ダンス一般にも日常にも回収されない不穏な地位を獲得することになる。そして、それはあまりの訳分からなさに目が離せない、夢に出てきてうなされそう、要するにすこぶるダンシーなのであった。
 (ところで、ご婦人の「こっくり&ぴょん」はついに、舞台中央まできて止まる。それを見ていた宝塚の男装の麗人が、婦人の足下のすぐ先の床にある印から着地点までの距離を測り「あとこれだけの距離ですよ」というように示す。また最初に戻ってこっくり&ぴょん。測量。こんどは行き過ぎた。で、また振り出し。チア・ガールが登場。無言のままポンポンを振って婦人を応援。しかし一体何の競技なのか?婦人が一歩ぴょん。と、その後ろの袖から詰襟の学生服に膝丈のズボンの少年が付いてきてぴょん。次いで、黄色いツインを着た婦人やら、ブルマー姿のバレーの選手などがぞろぞろ出てきて、ぴょんぴょん跳びレースが繰り広げられる。奇っ怪だ。訳が分からない。しかし、人物は皆まったく平然としてそれらの出鱈目を行っているのだった。)

上演データ:2004年12月3日〜5日 於 新宿パークタワーホール
初出:『バッカス』(論創社)2号. 2005年6月刊