同窓会というか

黒沢美香『jazzzz-dance』@王子神谷シアターバビロン
開演直前、会場に入って驚いた。何と、太田恵資クンがヴァイオリンを弾いているではないか!久し振りなんてもんじゃないな。最後に会ったのは、そうだ、僕の仕事だよ。95年頃かな、かの香織チャンのシングルのインストバージョン(のアレンジを僕がしたのだ)のレコーディングで、太田クンにステファン・グラッペリ張りのソロをお願いしたのだった。それはまあどうでもいい。当日パンフを見ると黒沢美香が「<黒沢美香&ダンサーズ>という名前の発端となったメンバーと離れて10年以上振りに今日また共に踊る」と書いている。ああ、そうか今日はそういうことか。クリタチカコ、吉福敦子、砂山潮(典子)、あと諸事情で出演できなかった平松み紀(クレジットは「立会い」、客席最前列に座ってた)の4人の初代ミカダンサーズ、それとパフォーマーとして参加していたのが太田くんだ。で、今のミカダンサーズ中、一番若い3人が着ているグレーのデパートガール風の制服は、ああそうだよ、あれはダムタイプと一緒にやった『Nut Cracker』(89年、青山円形劇場)の時のコスチュームだ!
で、『jazzzz-dance』は、92年「偶然の果実」シリーズの最初の頃、STスポット時代の「作品」。初演は見ていない。そのちょっと前に黒沢美香があまりにも「踊らないダンス」に突っ走っていくので少しずつ足が遠のくということが個人的にはあって、とにかく黒沢美香の活動を一番フォローしていなかった空白の時期なのだった。そんなわけで、彼女がこの92年にバニョレに出場していたこともずっと知らなかったし(※)。
とにかく当時「偶然の果実」でこれほど綿密に「振付」られた「ピース」が上演されていたというのはちょっと驚きだ。いや、もちろんここでの「振付」とは無数の「即興」「偶然」がそこを通って(すり抜けて)いく時発生するように複雑に張り巡らせた仕掛け、といったもので、その点では、「偶然の果実」の他の様々な試みと同じとも言えるのだけど、基本的な取り決め1個だけ決めたらあとはその場に出演者各自が身を置くことで何が出てくるか一か八か的な場合が多かったことからすれば、とにかくこの綿密さは例外的だと言っていいと思う。まあ、舞台に立つダンサーが12人というそれなりの人数だということも多分にあるのだろう。で、ダンサーはさらに大きく三つのユニットに別れていて、その3ブロックの間のレゾナンス、そして隣のダンサーとのズレゆき/シンクロ、ダンサー1人1人の上演時間の中での反復/ズレゆき/変容、これら3つ(×12=36?)が乱反射して一瞬ごとに舞台の表情を変えていく、という恐るべき「ダンス機械」なのだった。レスター・ボウイのフリー・ビッグバンド・ジャズ的な感じとでも言ったらよいか。しかも基本モチーフは右足左足、右足左足という、誰もがディスコで踊るときの基本型で、いやもっと還元した形で「右/左の重心移動」ということだ。この「ミニマリズムの大掛かりなアンサンブル作品」の精緻さに比べたら「ローザス」なんて児戯に等しい

(※そのバニョレ出品作はそうとは知らずに湘南台で上演したバージョンを見ていて、その時も、1時間の上演のうち55分ぐらい(タイプラーターを打つ出口くん、飛行帽をかぶって回転椅子に座ってバイオリン弾きながら舞台を滑走する太田恵資、とか子供用の三輪車を無理矢理漕ぐ女、といったとりとめのないあれこれ)を我慢したのちに、それまでずーっと彫像として置き物状態で立っていた美香が、突然、ゴーレムというかジャイアントロボというかコクトーの『詩人の血』の彫像のように石膏をバキバキさせながら動き出し、ペレス・プラード(キエンセラだったか?)に乗ってのバカバカしくも素晴らしい「踊り」を3分1曲だけ踊り、「まあ今日はこれが見れたからヨシとしよう」と思ったことだけおぼえている。)