追悼 ローラン・プティ

ローラン・プティの追悼にかえて、2003年の原稿を掲載します。

 「はしっこい」という言葉がローラン・プティをあらわすのには、ぴったりのような気がする。「人物」についても、彼の「ダンス」についても。会って話をする度にそう思う。こちらが何かひとつ言うとそれについて話しはじめるのだが、どんどんと話は逸れていき、行き着くところを知らない。しかもその間に、何杯もお茶を飲み、こちらのカップにも注ぎ、スコーンをかじり、ある瞬間の話題に参加させるためだけに人を呼び……、といったふう。まったくじっとしている瞬間というものがない。体も頭脳も、必ずどこかしらが動いているのだ。そしてその活動する部分は常に移動し続ける。彼の創造の場もその時々の好奇心と情熱のおもむくままに、めまぐるしく移動し続けてきたといえる。オペラ座カジノ・ド・パリ、ハリウッド、ブロードウエイ……。このことは、悪く言えば「落ち着きがない」ということになるが、プティの場合、彼が根っからの「ダンス馬鹿」、「アブソリュート・ダンシング・マン」であることの端的なあらわれ、といえるのではないだろうか。
 しかし「ダンス」とは何だろうか? 沈欝・停滞・鈍重・こわばりの反対、つまりは「落ち着きがないこと」ではないのか。その意味では、いわゆる「芸術としてのダンス」(自称)の多くが、芸術的であるぶんだけ鈍重だったりこわっばっていることは否定できない。そうした「悪いダンス」と比べるなら、ストリートで踊る黒人の悪ガキ(どこからみても「落ち着きのない」としかいいようのない!)のほうがはるかにダンシーだ。プティはそんなダンス・キッズと同じように、いつでもどこでも踊りたくてうずうずしているのだ。だからこそ彼のつくるダンスを見ると、見ているほうも無性に踊り出したくなる。普通、僕達が踊り出すのはどんな場合だろう? それはグルーヴィーな音楽に誘われて、ではないか。クラブやディスコだけではない、コンサートや街中の喫茶店でさえも、「いい音楽」つまり「ダンサブルな音楽」さえあれば勝手に体が動いてしまう。とするなら、見ていて踊りたくなるダンスとはきわめて音楽的なダンス、ということにならないだろうか。いうまでもなく「音楽的」とは正確なカウントやテンポといったこととは関係ない。単なる音符の連なりのなかから、ある生き生きした「運動」を掬い取るプレイヤーが音楽的に優れているとするならば、「音楽的」と「ダンス的」とはほとんど同義ではないか。なにもジャズやヒップ・ホップのことだけを言っているのではない。ホロヴィッツやG・グールド、ポゴレリッチの演奏はまちがいなく「踊っている」し、それを聴くときの僕は、まちがいなく体を動かしている。あるいは、「タップ・ダンス」。タップ・ダンサーは何をしているか?─足を踏み鳴らして音を出している。その身体はひとつの楽器となっているのだ。ということは、彼はダンサーであると同時にミュージシャン(パーカッション奏者!)でもあるわけだ。

 では、プティのダンスの「音楽性」とはいかなるものだろうか。一般に、バレエやコンテンポラリー・ダンス作品(振付)において「音楽的」という時、「主題と変奏」「対位法」「反復とずれゆき」「オーケストレーション(楽器編成)」といった、音楽の「方法」の視覚的なアナロジーで、つまり「構造」的なレベルで云々されることが多い。だが、プティの場合は、よりファンダメンタルなレベル、「フレージング(節回し)」「アクセント(抑揚)」「ダイナミクス(強弱)」といった、音楽=ダンスが息づくための、音符の連なりが生きた運動になるための「基本単位」において、「音楽的」なのだ。
 微細なニュアンスを持った生き生きした「運動」、つまり「グルーヴィーな音楽=ダンス」を実現するために、プティは身体じゅうのあらゆる部分をあらゆる方法で活用する。猫のように回されたり突き出される肩、足の甲で軽く床をはたく(そのとき撥ね上げられるふくらはぎ)、ポアントではなくて踵で立つ(あるいはポアントで歩きながら上げたほうの足の踵を伸ばす)、腕を機関車の車輪のように回す(すると肩も同時に回る)、糸巻きする手、つんつんするように前に出される掌、軽い跋行、よじれ足、もつれ足‥‥こうしたプティのダンスのいたるところで見られるであろう、きわめて特徴的な振りから聴こえてくるのは、例えば弦楽器なら、ヴィブラート、トレモロポルタメント、ピチカートといった奏法のあれこれは勿論、弓で弦や胴を叩いたりするような(タンゴでしばしば用いられる)特殊な響きまで含まれている。
 これはまさにダンス言語の拡張でもある。そしてその基本となるものが「アン・ドゥダン en dedans」だ。「アン・ドゥダン」とは、バレエの大原則「アン・ドゥオール en dehors」の反対に、脚を内股にすることである。アン・ドゥダンは、プティ以前にもポーズ的な扱いでの使用はわずかながら存在した(フォーキンの『ペトルーシュカ』など)。しかしプティは、アン・ドゥダンを完全にバレエの「パ」として組み入れ(いわば反転したアン・ドゥオールとして)、文章を綴る文法として確立したのだ。さて、脚がアン・ドゥダンに動くと、それは必ずや全身に波及する。肩は自然にすぼめられるか、突き出され、腰は斜めに突き上げられる。プティの初期の傑作『カルメン』(49)において、ヒロインのあの猫のようなしなやかさ、敏捷さ、蠱惑的な「しな」は、まさにそのようにして生まれたのだ。この、「脚さばきの反転」から始まった身体言語の拡張は、やがて大作『ノートル・ダム・ド・パリ』(65)において頂点に達し、炸裂する。まず、カジモドのせむし、腕の硬直と弛緩は「ハンディキャップ」ではあるが、「拡張される身体の可能性」の礎でもある。そして、作品全体がカジモドの身体に呼応している。そこにあるすべての身体は、モーリス・ジャールの音楽の「多様なリズム」と結び付いて、ねじれ、よじれ、もつれ、たわみ、ひきつり、震え、屈み、蹴り、跳ね、絡まり合う。この、あたかも68年の五月革命を予告するようなアナーキーなバレエは「人間の身体はこうも動ける、また、こうも動ける、動きたいように動けるのだ!」と宣言しているのだ。
 プティは、さらに椅子(『カルメン』)、人形(『コッペリア』)、羽飾り(『私の羽飾りのトリック』)といった具合に「モノたち」までも踊らせずにはいない。それらは、ちょうどアニメ漫画のなかの「やかん」や「ほうき」のように生き生きと踊る。そう、W・ディズニーの最高作が音楽を主題にした『ファンタジア』だと言われるのも、「アニメーション」というもの、この死んだ絵を「生き生き」とさせる/動かす「術」(ルビ:アート)の本質が、音楽=ダンス性に他ならないからだろう。そして、アステアが「踊るミッキーマウス」と評されたように、ミッキーのような「はしっこい」キャラクターこそ「ダンス」なのだ。そういえばプティ本人も、カスケット帽をかぶって、いかにもいたずら好きの子供のように上目使いするときなど、ミッキーそっくりではないか!

 ここで少し角度を変えて、(ダンスじたいの音楽性とは別に)ダンスと音楽の関係について考えてみよう。「舞台芸術」としてのダンスの歴史を振りかえって見ると、それは「音楽からいかに自律するか」という歩みであったように思われる。宮廷で踊られていたバレエ(の原型)が、劇場に上がり「スペクタクル」(視覚の快楽)性を強め、「パ」も体系化され技巧的に(音楽より)複雑になると、音楽はカウント、単なる指標と見なされ勝ちになった。音楽家バレエ音楽の作曲など「二流の仕事」と考え、「やっつけ」で済ませるようになる。バレエの完成者プティパの振付はもちろん素晴しいが、彼は音楽的であるより、むしろ視覚的な美を追求したきらいがある。それはジョージ・バランシンに受け継がれ、「身体運動による造形」が20世紀バレエの本流となった。いっぽう(プティパ的な)バレエを否定したイサドラ・ダンカンが、音楽にただひたすら身を任せることで生み出したモダン・ダンスも、やがてマース・カニンガムに到ると音楽は「ダンスの自律性を妨げる敵」にすらなってしまい、その後は無音で踊ることさえもあたりまえになっていくわけだ。おそらくこのことは、ダンスが、先行する諸芸術と肩を並べ確固とした一個のジャンルと認められようとした(ダンスは音楽ではない!という自己規定の)結果なのだろう。
 しかし、そもそもダンスという行為が自ら踊って楽しむものだったこと(バレエの起源にも、宮廷のパーティのダンス・タイムのステップとメヌエットガボットといった舞曲=ダンス・ミュージック!があり、さらにその元には、農民や商人の祭のダンスと舞曲がある)、そして今日においても「サルサ」や「ヒップ・ホップ」といったストリートで踊られるダンスのことを考えてみれば、「いい音楽が鳴って知らずリズムを取る、思わず腰が動く、立ち上がって踊り出す」、この構図こそがダンスと音楽の本来的なそして本質的な関係ではないかと思うのだ。
 そして、まさにプティの場合もそうだ。それはおそらく、彼がこれまで一貫してエンタテイメントとアートを区別することなくダンスを作ってきたことと無関係ではないだろう。例えば、この『デューク・エリントン・バレエ』。ここでは音楽は明らかにダンスの「前提」となっている。もちろん、それは単なるカウント(指標=タイム・コード)ではない。エリントンの音楽が身体の中を駆け巡っていくとき起こる「喜び」が自然と取らせる「振るまい」、まさに振付の最中にエリントン・ナンバーを聴くプティ自身の身体に起こった衝動、グルーヴィーなセッションにもう一人のミュージシャンとして加わり「プレイ」したいという、強力な欲望に突き動かされた身体の奏でる「音楽」──それがこのダンスなのだ。ならばダンサーにとっても、この作品をより良く踊るとは、エリントンの音楽で踊るのではなしに、エリントンの音楽と踊ること、エリントンの音楽を生きることに他ならない。こうして、ここでは単なる「歩行」でさえも(実際、全編を通して最も多く使用されるステップは「歩行」かもしれない)、その「喜び」が付加されることによって「ダンス」になるのだ。そして最終的には、客席に座るあなたの身体にも「それ」は起こるだろう。知らぬ間に腰が動き肩をゆすり始める時、もうすでに我々は椅子の上でダンスしている!

(初出:2003年、牧阿佐美バレエ団デューク・エリントン・バレエ』愛知芸術文化センター公演プログラム)