チョイ・カファイ 「ノーション:ダンス・フィクション」

 国際演劇祭「F/T11」のプログラムとして上演された『ノーション:ダンス・フィクション』。だが、なぜか舞台上では神経に電気的刺激を与えて筋肉を動かす、という怪しげなアイディアのプレゼンテーションが展開されるのだった。 学会発表よろしくドクター・チョイはまず数世紀にわたるこのテーマに関する研究を概観。中にはカエルの足に電流流す懐かしの理科実験も。 通販番組でよく見る電気的な刺激で腹筋を鍛える!とか脂肪燃焼!等々をうたうアタッチメントの類いをつい思い出す私。 最新の成果として、日本人アーティスト真鍋大度の、顔じゅうに貼られたパッチに電流を流しさまざまな表情を作るという作品が紹介され、この方法を全身に拡張すれば、あらゆる筋肉を電気的刺激でコントロール出来る、と。
 彼はここからさらに視点を変え、モーション・キャプチャーの要領で、20世紀ダンスの重要なコレオグラフィを(映像をもとにした実演によって)トレースし、筋肉の動きを電流のデータに変換し記憶させ保存しておけば、データを呼び出しアタッチメントを装着すればいつでも誰でも自動的に名作ダンスを踊ることが可能になる!という画期的ダンスアーカイブ構想をぶち上げる。アタッチメントを装着した女性ダンサーが登場、プロジェクションされる有名なダンス作品、たとえばピナ・バウシュ「カフェ・ミュラー」や土方巽「夏の嵐」を、映像とシンクした(と称する)データ信号の神経への直接入力によって(!)そっくりに踊(らされ)る、というデモンストレーションが展開する。 このあたりで、どうやらこのプレゼン全体が真っ赤な嘘=フィクションであることがわかってくる。危うく信じるところだった(笑)。
 思うに、「自動ダンス生成機」なるものを仮構することによってここでは「ダンスとは何か」という根源的な問いが提起されている。ピナ・バウシュの深い精神性に裏打ちされた(と評される)、きわめてエモーショナル(にみえる)なダンスも、実は( 精神活動の介在しない?)「筋肉運動」に過ぎないのではないか、という危険な問いだ。
 けれど、このSF的なアイディアに騙されて、電気的刺激によって勝手に動いてしまう身体は、何を獲得するか? と問うてみたとしたらどうか。この、己の制御から逃れる“不随意”な身体とは、本来的な意味で「ダンス」の謂いかもしれない。グルーヴィな音楽が聞こえれば、無意識のうちに肩が揺れる、やがてその振動は全身に波及し、気がつけば立ち上がって踊っている私。ダンスの生起とはこうしたものだ。そう、踊るとはほとんど踊らされることに等しい。 電流も音楽も同じくダンスのトリガーだ。あれ、俺もしかして踊ってる? でもなんか気持ちいいんですけど、えへへへっ(ドーパミン出まくり笑い)。 それらによって発生した身体の状態がいかに主体や自意識から自由であるのか、そのことがダンスとして吟味される質なのだろう。そう思うと、エレクトリック「自動ダンス生成機」、試してみたい(もし実現したら)!
(初出:「ケトル」2012年)