「Encounter:ジェコ・シオンポとディック・ウォン」

日時が前後するけど、
9/20(土)
「Encounter:ジェコ・シオンポとディック・ウォン」@森下スタジオ
アジアのダンスを紹介する「コンテンポラリーダンス・イン・アジア」の第一弾(企画:Dance Asia)。
『Encounter@Tokyo』
コンセプト・演出/ディック・ウォン 出演/ディック・ウォン、捩子ぴじん
出会いとコミュニケーションの過程を作品化。まず、数週間前に出会ったばかりのパートナーを語りと自分の身体で紹介するところから始まる。「今踊ったのは捩子くんの踊りです」等々。次に、その場で交互に「1動作」づつ振りを作っていく。相手の提案する動作にその都度可否を出し、ダメなら別のを提示しOKが出たら、交代。完成したフレーズは約10秒、8動作ほどだろうか。その後、交互にそのフレーズを踊るのだが、「パンダが踊ってるみたいに」とか「そのパンダがフォーサイスを踊ってるみたいにやって」とかのインストラクションを提示し合い、単純な振りに、いろいろなニュアンスを加えてみる、という「ゲーム」を行う。
そうして見えてくるのは、2人のダンサーのキャラクターや身体の質感やダンスに対する態度などの差異や共通点だ。
このような方法によるある種の「メタダンス」を「Discoursive 言説的な」というようだが、もっと面白くかつ深いところに到達出来そうな気がするのだが、残念ながらいささか「ヌルい」セッションで終わっていた。今回は入門編、デモンストレーションといったところだろうか。でも、こういったことって、みんなワークショップなんかでは結構やってることじゃないのかな。僕もやるし。で、その場合は最終的な作品にフィードバックするためのエクササイズ、実験として用いられるわけだが、それをそのまま「作品」として提示することの意味は何だろうか。いや、分かるんだけど、注意しなきゃいけないのは、「作品」のなかで「ダンス」(なりなんなり)が「ネタ」化してしまうことの危険だ。身体やダンスの孕む「政治性」は、もっとダンス的なアプローチで可視化して欲しい。ダンスをなめたらアカンのじゃないかな。現に、ディック・ウォンという人の身体、ダンスは、かなりダメダメな味わいを持っていて(それこそ「ダメ身体」と呼んで差し支えない類いの)、それを立脚点にしたらもっと違う可能性もあるのに、もったいないなーと思うのだ。
『Tikus-Tikus(ネズミ)』、『The Behind is in Front』
振付/ジェコ・シオンポ 出演/ジェコ・シオンポ、アジェン・スーライマン
厳密に振り付けされ、高速度で踊られる「落ち着きのなさ」「挙動り」(のように見えるが、実際は超高度な反射神経の働き的なものかもしれない)。とにかく左右、前後の重心の切り返しにおいて尋常でない早さが要求される。ジェコ本人は出来ちゃうのだが、パートナーの女性ダンサーはちょっと苦しそう。
しかし、ともかく、この企画は意義あるものなので、どんどん続けていってもらいたい。あと、やるからには、もっと多くの人に見てもらうための宣伝もがんばって欲しい。