腐ってもフォーサイス

2月27日(木)夜、世田谷パブリックシアターで「安藤洋子×W・フォーサイス」を見る。
● 「Wear」(2004)
安藤洋子をフィーチャーした「情熱大陸」の監修の仕事をした関係で、先月に行われた初演のビデオを見ていたのだけれど、はやくも「中程度」の変更が加えられていた。
特に、ラスト。きのうは帯状のリノリウムで作ったパオのような簡易ハウスを男2人がロープで引っ張るとグシャっとつぶれていく、というものだったが、初演では、パンツ一丁になった男2人が、まず、自分のブリーフの股と股の間にロープを通し、安藤を引っ掛ける。そのまま男2人に引っ張られるように正面を向いた安藤が引きつったようなダンスを踊りながら後ずさって行く、という終わりかただった。このことが典型的だが、初演から比べると、全体に「バカ度」が落ちて(抑えられて?)いる。にしても、今、欧米で(しかもエスタブリッシュされたダンス作家として)かほど「バカ」をカマしてくれるのは、フォーサイスぐらいではないか、やっぱエラいよ。
●「N.N.N.N 」(2002)
コンセプト的には、これ、広島の「身体表現サークル」と同じじゃん、しかも「身体〜」のほうが面白かったりして。と思っていたところ、現時点まで5名の方がまったく同じことを感じたという。ま、「Wear」同様、欧米でここまでやってくれれば評価しなければならないという思いと、んじゃあ、我が方に分があるってことか結局、という奇妙な話。
●「Quintett 」('93)
もちろん素晴らしい作品なのだが、今回の上演は繊細さに欠けた。主犯はガタイのでかい黒人ダンサー。まったくの(アメリカン)バレエダンサーで、つまりまったくフォーサイスダンサーらしからぬマチョ=木偶の坊。なにせ、彼のパートはスティーブン・ギャロウェイの踊った(創った)パートなのだから。で、ダナ・カスパーゼンのパートを今回、安藤洋子が踊ったわけだが、これをまったくの安藤のキャラで押切ったところに、ある意味面白さはある。すなわち、バカがつくほど明るい(能天気)な安藤全開の「はしゃいだ」「キュート」な踊りによって、もともとの終末感というか、「黄昏」感は後退して、白痴的なイノセントの遊戯、といったニュアンスに染めあげられてしまったのだった。それはそれでいいのかしもしれない。
あ、今思い付いたのだが、「Wear」は、この作品のパロディになっているのではないか?「Quintett」では「審美的」に描かれた「ポスト・ヒストリー」世界を、2004年にふさわしく、ジャンキーなホームレスの不条理コントに仕立て直したというか(ちょうど「Quintett」ではダンサーが出たり入ったりする穴がある辺りが、「Wear」では簡易シェルター(?)の位置だし)。そして更には、2004年の「Quintett」のほうも、自己パロディの色調を帯びさえしている?
※ちなみに、かつて、95年にさいたま芸術劇場で見た「Quintett」について書いたレビューはココに。→  http://www.t3.rim.or.jp/~sakurah/quintet.html

終演後、押切伸一町山広美夫妻と劇場近くの韓国家庭料理店。ケジャン、豚足、海鮮チジミ、ハラミ、カルビ、タン塩。特にケジャンと豚足が美味。