イデビンアン・クルー『関係者デラックス』

 いやー、面白かった。で、何と言っても佐伯新である。佐伯を起用して使いこなしたというか最大限の魅力を引き出した井手茂太もあっぱれだが、佐伯も半端じゃなく、汗だくになっての渾身の踊りっ振りを見せてくれた。ま、もとから汗っかきだが。
 佐伯新の“魅力”―カッコ悪さ、情けなさ、ダメダメ感―それはそもそもイデビアン・クルーのダンスの魅力を表す形容でもある。ただし、これまでのイデビアンが、おそらく中心的ダンサー=中村達也の身体性が基準となって、ボーっとした感じというかヘロヘロ感・脱力感が身上だったとすれば、佐伯の投入によって、あせりまくる人の「キョドり」とか無意味なハイテンションといった別種の「ダメさ」が加味されて、2倍おいしいことになっていた。
 この2種の「ダメ」が作品のプロットにもうまく利用されている。すなわち、まったくもって平然として淡々と「デタラメ」を繰り出す者たちと、それに一々驚き、困惑のあまりおかしなリアクションをしてしまう男(佐伯)という構図。あ、つまりこれは彼の見ている夢なんだな。
 夢の中、高い天井にシャンデリアが吊られたほの暗い部屋で、俺(佐伯)はグレーの背広にネクタイ姿で、和装の婦人、詰襟の少年2人、赤いギンガムチェックのワンピースやら吊りスカートの少女3匹と一緒に並ん立っていた。それは家族のよう。ってことは、俺、父親? 詰襟の息子の一人がいきなりコケる。正座してたわけでもないのに足が痺れてよう立たんらしい。ひとしきり足萎えのダンスをして隣の兄弟にすがって元の位置に立つ。何がうれしいのかニヤリ。何じゃコイツは。突然鳩時計が鳴ると、今度は3姉妹が音に合わせて首を前に突き出す。うわっ、気色悪いガキ。何とも奇っ怪だ。逐一、訳が分からないのである。しかるに、この者たちは皆まったく平然としてそれらの出鱈目を行っているではないか。だが、気がつけば猿股姿、脱いだ靴下を両手に持って踊り出す俺、ああ何と愉快な事よ!
 「不条理(ナンセンス)」とは結局のところ「夢の文法」なのだ。夢の中では、理路整然としたことを述べているように思われるが、実は意味不明の謎の単語の羅列である、というような。
 かつてのイデビアンは、日常のよくあるシチュエーションをまず前提として、それが何かのはずみでズレる、という手順を踏んでいた。ところが、近年どんどん「不条理」度が増していき、今やのっけから既にしてわけわかんねー状況になっている。にもかかわらず観客がついていけるのは今回、登場人物に「キャラ」設定が付与されたからではないか。ああこれは家族の風景スケッチ的なものなんだなと安心させておいて思う存分デタラメを繰り広げる、そのための「だまし餌」。その際、ことのほか大きな意味を持つのは「衣裳」だ。
 デビュー当時の全員が黒の稽古着の上下に白ブリーフを始め、全員が黒の喪服(お葬式)、Tシャツにパンツというカジュアルで統一(フリムクト)といったように、これまでのイデビアンの衣裳は、いわば「ユニフォーム」的であった(レオタードの機能と同様な)のに対して、今回は服装によって各々が役柄として把握され、観る者の視線が投影しやすくなったように見せて、逆に行為の抽象(無意味)度は高まっている。さらに、ここには佐伯一家とは別にチアガールやら警備員といったコスプレな役柄も存在する。ブルマーはいてバレーボール抱えた女は、だからどう見てもバレーの選手だが、じゃあなぜそこにバレー選手が存在するのかは全く意味不明で、そういう怖さというのもある。
 そしてもちろん「動き」。これまで井手は一貫して、石ころに躓いてコケそうになっておっとっとする身体のグルーヴを、機敏にさっと石をよけたりするようなつまりダンス的とされるしなやかな身のこなしに対峙させ、(もう一つの)ダンスとして提示してきたわけだが、今回は、一旦ダンス=運動として抽象化された日常動作を再び「行為」にさし戻しているように見える。ただし行為の原因は消去して。
 例えば冒頭シーン、和装の婦人が立ち寝状態でこっくりこっくりしている。足を揃えてぴょんと前へ一歩。間をおいてまたこっくりして、ぴょん。こっくり、ぴょん。何じゃソレ?と思うだろう。これをレオタード着た「ダンサー」の運動として抽象的に提示すれば、直立して体の軸を左右に10°揺らす。6番ポジションで小さくジャンプ。以下8回反復。とか記述可能だろう。そして、「立ち寝」も「足を揃えてぴょん」も日常動作として見れば理解可能だ。しかし、何故、奥さんがそれをそこで行うのかが、分からないのよ!しかも、何故「立ち寝」→「ぴょん」なのか !?
今日び、どんなおかしな動きも、それを「ダンス」として行えば、ああダンスだなと了解されかねないが、このいわば「演劇を偽装した場」でしかも「石ころ」なしでおっとっとするなら、「挙動不審」という、ダンス一般にも日常にも回収されない不穏な地位を獲得することになる。そして、それはあまりの訳分からなさに目が離せない、夢に出てきてうなされそう、要するにすこぶるダンシーなのであった。
 (ところで、ご婦人の「こっくり&ぴょん」はついに、舞台中央まできて止まる。それを見ていた宝塚の男装の麗人が、婦人の足下のすぐ先の床にある印から着地点までの距離を測り「あとこれだけの距離ですよ」というように示す。また最初に戻ってこっくり&ぴょん。測量。こんどは行き過ぎた。で、また振り出し。チア・ガールが登場。無言のままポンポンを振って婦人を応援。しかし一体何の競技なのか?婦人が一歩ぴょん。と、その後ろの袖から詰襟の学生服に膝丈のズボンの少年が付いてきてぴょん。次いで、黄色いツインを着た婦人やら、ブルマー姿のバレーの選手などがぞろぞろ出てきて、ぴょんぴょん跳びレースが繰り広げられる。奇っ怪だ。訳が分からない。しかし、人物は皆まったく平然としてそれらの出鱈目を行っているのだった。)

上演データ:2004年12月3日〜5日 於 新宿パークタワーホール
初出:『バッカス』(論創社)2号. 2005年6月刊