訂正というか

黒沢清ココロオドル」の出演者たちは、ほとんどがホンモノの「エキストラ」だったことが判明。
ということは、キアロスタミ映画に登場するシロートたちとの比較、あるいはハリウッド映画のエキストラたちとの比較、という話になるのだろうか。
常々、日本映画のエキストラの不自然さは気になっていた。時代劇はまだしも、喫茶店で談笑してたり通りを行き交うカップルとか、コンサート会場の観客とか、立てこもり犯に対峙して突入を待つ機動隊とか、その後ろの野次馬たちとか。単なる「背景」なのに、邪魔に感じるのは、彼らの身体が「据わっていない」からだ。コイツら、今にもカメラに向かってピースサインしやがるんじゃないかという感じ。安心して見てられないのだ。
で、「見え方」として「ココロオドル」の人物たちに、それと共通の「落ち着かなさ」を感じた、というわけだ。問題はそれが何を意味するのか?だ。