大橋可也「帝国、エアリアル」

12/28(日)大橋可也&ダンサーズ『帝国、エアリアル』@新国立劇場小ホール
「空気の帝国」今日ただいまの状況下における(我々の)身体(の常態?)。表象=再提示としてはわかる(ダンサー達は皆「身体を張っていた」し、伊藤篤宏&HIKOの強靭な演奏も真摯かつ誠実さに溢れていた)。が、いかんせんそこ止まりと言わざるを得ない。「ホレ、見なはれ、僕たちの身体=主体は今や、こうなっていまっせ!」と。イラストレイテッド(劣化コピー)な反復。もちろん、安易に無根拠にポジティブな「希望」を語ればいいのか、ということはあるけど、この程度の「絵解き」「再現ドラマ」レベルでは、「アート」「表現」なんて、アキバ事件のKになんか届くわけないよ、どう考えたって。
舞台に散乱したペットボトルやカップ麺、コンビニ弁当の容器やスナック菓子の袋などの生活ゴミは、舞台美術として、つまり「絵」としては壮観だけど、しかしそれらは、食べ滓など一切なく、きれいに洗ってあり、丁寧に包装ファイルは取り除かれており、清潔で無臭の状態で用いられていたのが気になった。それについて大橋は「今時、みんな洗ってますよ、ゴミの分別は常識でしょ?エコですよ」と言うのであった。そりゃ、いささか「勝ち組」な感覚ではないのかなあ?
ここ最近の大橋可也の(この公演に向けての)一連の「活動」については、個人的には共感するものがあったし、さまざまな「運動」と連結してダンスが自らを開いていくことは、まったく正しいと言える。が、アーティストは最終的には(たとえ暫定的であってもその都度)「作品」で総括するしかないし、総括されるしかない。その意味で今回の舞台は非常に残念だと思うのだ。