「痙攣」についちゃあ黙ってないよ、俺は。

アラン・プラテル Les Ballets C. de la B. 『VSPRS』。
うーん。「アウト・オブ・コントロールの探求」というその志やよし。
が、踊りが(つまり痙攣が)大雑把というか粗雑に感じられる場面が多かった。だから、こっちの身体がちっともシンクロしない。痙攣を「演技」「振り」で処理しちゃってるような気が。だって、痙攣してても唐突にピタっとやめてスタスタ歩きだしたりする。それはありえないでしょう。
あと、結局は「崇高」に落としたいのね、という作りになってるのもいかがなものか。100年前のヒステリー患者のフィルムとアフリカの儀式のトランスの映像がプレテクストだということだが、ヒステリー系ばっかりでトランスのエクスタシー方向の痙攣はなかったな。絶望にうちひしがれた身体もハイになって超ハッピーな身体も同じ振るまいをするというのが大事なポイントだったはずなのに。
「痙攣」ともう一つの柱「コントーション 捻転(よじれ、ひねり)」に関して言えば、フォーサイスとか、あるいは去年見たオーストラリアのフリークショウ「ハッピイ・サイド・ショウ」とかのレベルには及ばない。