夏が終わったな

昨日(9/12)、僕がサントラを作曲した宮沢さんの映画(正確には宮沢章夫総監督、4人のディレクターによる5本の短編オムニバス)『be found dead』の編集の最終的な作業が終わり、ようやく夏が終わった感がある私でした。ていうか、昨日の午前中まで、一度完パケて納品したものの納得いかない曲を作り直してたからね。あー、終わった終わった。
さて、次は”じゃれみさ”とのコラボレーション。京都芸術センターの企画によるダンサーと音楽家のコラボで作品を作るというもの。僕らの他に「北村成美vs巻上公一」「TEN vs港大尋」の3組。他の二人のミュージシャンはライブのつわものだが、僕の場合、(今はどっちかというと)プレイヤーというよりコンポーザーなので、あらかじめ作り込んだものになる。で、「ライブのリアル」にどうやって拮抗するかが問題。
というわけで、しばらくぶりに音楽家生活の私ですが、20日には「東京コンペ」もあるしな。そういえば、このイベントの企画者エノモトさんと先日飲んだ折、「吾妻橋ダンスクロッシング」に「サブカルとしてのダンス」の可能性を見た、とのお言葉を頂いた。これは、僕的にはかなり嬉しい評言で、それをまた「ビックリハウス」のエノモトさんが言ってくれたのだから、なおさらである。ちなみに、僕は投稿者いわゆる「ハウザー」ではないが、ビックリの後期には色々とお世話になっており、編集部に入り浸っていた。紙面にも何度か登場している(モデルで!)。今思うに、「吾妻橋」や「コドモ身体」論にいたる僕の「デタラメ」志向(嗜好)は、「ロミ山田」や「妻が猿と」によって決定付けられていったのであろう。
あ、それから「invitation 」誌の今月号に松井みどりさんが「吾妻橋ダンスクロッシング」のレヴューを書いてくれていて感謝。「日本の大衆文化が生むキッチュや、子供のふざけあいから発展した目的のない動作を素材に、全く新しいダンスの構造を構築しようとする野心と熱に溢れていた」とは的確な指摘だ。また「バッカス」次号でも「吾妻橋」の記事が4ページ(カラーで写真ページ2、続いてレヴューと僕のインタヴューで2ページ)掲載される予定。
仕事にかまけていたが、種村季弘の死はボディブローのようにじわじわと効いている。僕は高校生の頃には断然「澁澤派」要するに耽美、デカダン派、であったが、大学に入って間もなく刊行された「ザッヘル・マゾッホの世界」及び「マゾッホ選集」によって「種村派」すなわちキッチュ、下世話、醜の美学派、に改宗したのだった。僕の大好きな種村の名言(ディテールはうろおぼえだが)「なるほどたしかにこの世は地獄だ。しかし天丼がある」(「食物漫遊記」の一節)。合掌。ああ、あれを読み直そう。種村訳のオスカル・パニッツァ全集。「コルセットのフリッツ」とか。