危口統之「はだかのオオカミ」

 イソップの「オオカミ少年」とアンデルセンはだかの王様」。「ウソ」を扱った童話二つを合体し、いわば“でっち上げ”たのが、危口統之作・演出『はだかのオオカミ』だ。
 「これは馬鹿には見えない服」だという仕立屋に騙された王様と家臣たちが、見えてるフリをせざるを得なくなり、お披露目パレードで子供たちに笑われる。この「王様はハダカだ!」事件を契機に、怒った民衆の(SEALsめいたコールが連呼される)「デモ」が起こり、大臣たちの「謝罪会見」(国民的アイドルグループの先日のあれを用いた)が開かれるなど、劇は我々の今をなぞり始める。
 ついに革命により共和制が樹立、見えない服の仕立屋=ウソつきが大統領に。退位した王様は(昭和天皇人間宣言みたいな感じの書き置きを残し)失踪、森の中で「オオカミ少年」に出会う。少年は誰も自分のウソを信じなくなったので、自らオオカミとなって町へ逆襲しようと毛皮で着ぐるみを作っていた。王様は戯れに着ぐるみを纏い「オオカミが来たぞ!ガウー!」そこへ王を探しに来た家臣が登場、「オオカミ」を目の当たりしてズドンと一発。ラスト、「見えない王様」のお召し変えを(マイムで)行う者たちの、幻想の(?)王宮の日常風景で幕。
 かくして原作の「だから、ウソはいけません」という道徳的「教訓」は吹き飛び、「もしかして世の中ウソで回っている?」というアイロニカル(ドイヒー)な「真理」が浮かびあがる。
 しかしこれ、高校の学内公演、つまり「教育の一環」として実施されたというのがスゴい。学校教育に演劇を、というと得てして「コミュ力」アップ!とか、一致団結!みたいな話になりがちだが、選挙権年齢の引き下げで「有権者」教育が求められる今、これほど有益な授業はない。つまり「社会のなりたち」を考える、今僕たちが生きるここはどういう社会か?を考える、そういう劇であったと言える。
 さらに、「演劇」を学ぶ途上の生徒たちが、今この劇に参加出来たことは幸運だったと思う。ともすると、「リアル」を表現するツールだ的な錯覚に陥りがちだけど、 そもそも演劇って「ウソをつくこと」だった筈だよね? その点、きぐち先生の演出・演技指導のポイントはおそらく、いかにも「本当」らしく、ではなく歴然と「お芝居してます」で、というスタンスで(舞台セットもむき出しの段ボールのハリボテ)、「高校演劇」のトレンドがどうなってるのか知らないが、今どきここまで「学芸会」な演劇はないよ! だが、結果フツーのリアリズム演技には出せない、夢中で「ごっこ」に興じる者の生き生きした身体が起ちあがっていた。「ウソっこ」「マネっこ」で遊ぶ、ウソと知りつつ「あえて」遊ぶ、演劇の「初心」を思い出させることになったことだろう。僕もそう。

(初出:『ケトル』2006年5月号)


「はだかのオオカミ」
福島県立いわき総合高等学校 総合科第13期生 アトリエ公演)
2016年1月30日〜31日@いわき総合高等学校

作・演出:危口統之

出演:
飯島 楓花 茨木 彩華 小野 遥香 上遠野 真凛 阪本りょう 設楽 萌々 
鈴木 鳴海 東海林 莉香 平子 桃花 但野 鮎香 長南 茉生 粒來 みのり 
富澤 ひより 中村 美里 七海 舞香 根本 優奈 根本 有希菜 飛知和 有沙 
吉田 菜々子 若松 怜愛(五十音順)

演出助手:辻村優子
協力:佐藤恵 岡村滝尾
いわき総合高校:斎藤夏菜子 佐原輝明 谷代克明